“BANI”の時代に、突如降りかかる“災”のかたち

BANI/Positive BANIで読み解く、香川照之主演『災 劇場版』(ネタバレあり)

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本日公開された『災 劇場版』を、早速観て来ました。(リンク:映画『災 劇場版』公式

昨年WOWOWで放送された『連続ドラマW 災』(全6回)を再構成した本作は、単なるサイコ・スリラーではありません。「世界は本当に安定しているのか?」という問いを、観客に静かに、そして鋭く突きつけてくる、新しいタイプの寓話です。

「正常だったはずの世界」が崩れる瞬間

現代社会は長いあいだ、「合理性」「予測可能性」「努力すれば報われる」という前提の上に成り立ってきました。しかし近年、その前提そのものが崩れ始めています。パンデミック、戦争、経済の非連続的変動、そしてAIの急速な進化……私たちはいま、明らかに別の時代へと突入しているのです。

未来学者ジャメイ・カシオが提唱した概念に「BANI」があります。

  • Brittle(脆弱な)
  • Anxious(不安な)
  • Nonlinear(非線形な)
  • Incomprehensible(理解不能な)

『災』は、まさにこのBANI世界を映像化したような作品だと感じました。

「理由が存在しない」という恐怖

本作で最も特徴的なのは、「なぜ」が徹底的に排除されていることです。

香川照之が演じる“彼”は、トラックドライバー・塾講師・理容師・用務員など、まったく異なる人物として人々の生活に入り込み、やがてその命を奪っていきます。しかし、その動機が語られることはありません。背景も説明されません。殺害の瞬間すら描かれません。示されるのは、ただ「死んだ」という結果だけです。

これは、通常のサスペンス映画の構造とは真逆です。観客は原因を理解することで安心を得ますが、本作はその逃げ道を一切与えてくれないのです。つまり観客は、「理解できない現実」の中に、無慈悲に放り込まれる。

これはまさにBANI世界の「Incomprehensible(理解不能)」の疑似体験と言えるでしょう。

“災”とは、世界の脆さそのもの

登場人物たちは、悩みや後悔を抱えながらも真面目に暮らす、どこにでもいる普通の市民です。しかし彼らの日常は、驚くほど簡単に崩れ去ることになります。“彼”が現れることで、世界は一気に歪み、突如、取り返しのつかない結果へとつながっていきます。

ここに描かれているのは、「世界は思っているほど頑丈ではない」という現実です。私たちは日常を「安定しているもの」と思い込んでいますが、実際には、社会も人生も、きわめてBrittle(脆弱)なのです。

そしてその崩壊は、直線的ではなく、予測可能でもなく、突然に、つまり、Nonlinear(非線形)にやってきます。

恐怖の正体は「不安」ではない

興味深いのは、この映画が直接的な恐怖演出に頼っていない点です。血はほとんど描かれず、悲鳴は少なく、派手な演出も皆無です。それでも不安は限りなく増幅していきます。それはなぜか?

「理由が理解できないから」です。

人間は理解できないものに対して、最も強い不安を抱きます。つまり本作は、「Anxious(不安)そのものを描いた映画」と言うことができます。

Positive BANIという視点

ここで重要なのは、BANIは単なる絶望の概念ではないということです。BANIには対となる概念があります。それがPositive BANIです。(参考リンク:BANI本、ついに登場!『Navigating the Age of Chaos』日本初レビュー

  • Brittle → Bendable(しなやかな)
  • Anxious → Attentive(気配りのある)
  • Nonlinear → Neuroflexible(神経の柔軟な)
  • Incomprehensible → Interconnected(相互接続の)

『災』が示しているのは、世界の恐ろしさではなく、「前提が崩れた世界を、私たちはどう生きるか」という問いなのではないでしょうか。

理解できないものを受け入れる

香川照之が演じる“彼”は、極めて象徴的な存在です。単なる犯罪者ではなく、事故や病気、経済崩壊、AI、SNS炎上といった、現代における「制御不能な変化」のメタファーである。私はそう捉えました。

重要なのは、彼を理解することではなく、理解できないものが存在する世界を受け入れ、それでも前に進むことです。

ここに、Positive BANIの核心があります。

現代人へのメッセージ

映画を観終わったあと、多くの人はこう感じるでしょう。

「“彼”は、どこにでも現れる。いや、隣にいるこの人が“彼”かもしれない」

それは恐怖であると同時に、私たちが直面すべき現実でもあります。災いは特別な場所にだけ存在するのではなく、もはや日常の中に潜んでいるのです。

そしてこれは、AI時代にも完全に重なります。AIは悪意を持ちません。しかし世界を根底から変えていきます。まるで本作の“彼”のように。

「災」は外ではなく内にある

『災』が本当に描いているのは、連続殺人事件ではなく、人間が前提を失った世界に直面した瞬間です。そのとき必要なのは、恐怖でも、抵抗でも、否認でもありません。

「しなやかさ」です。つまり、Positive BANI的な生き方。現代を生きる私たちは、理解できないものと共に生きていくしかないのです。

「しなやかに、折れながらも進む」。それが、この理解不能な“災”の時代を生き抜く、唯一の術なのかもしれません。

人間×AI共進化ストラテジスト/HRアーキテクト
藤本英樹(BBDF)