本日の日経新聞に、マッキンゼーやアクセンチュアなど世界的コンサルティング企業で人員削減が進んでいる、という記事が掲載されていた。生成AIの進化により、コンサル業務の3割前後が代替可能になるという見方も示されている(リンク:日本経済新聞 マッキンゼーやアクセンチュア、進む人員削減 「AIが3割代替」)。
この記事を読み、多くの人は「いよいよAIが仕事を奪い始めた」と感じたのではないだろうか。
しかし私は、この現象を単なる雇用問題として捉えるべきではないと考えている。これは「AIの問題」ではなく、私たちの経営・働き方・社会設計そのものが問われている問題だからだ。
コンサル業界で起きていることは、事業会社の未来である
まず指摘しておきたいのは、この流れがコンサル業界に留まるはずがなく、間違いなく事業会社へと急速に波及するという点だ。理由は単純で、コンサルは「事業会社の未来の縮図」だからである。
コンサルが担ってきた業務――調査、分析、資料作成、壁打ち、仮説検討などは、本来事業会社の企画部門や経営企画、人事、DX部門が行ってきた仕事だった。それがまず「外注先」であるコンサル会社においてAIに置き換わり、次は事業会社の内部でも同じことが起きる。
しかも「コンサルで起きたことが3〜5年遅れで事業会社に来る」のではなく、今回は1〜2年で同時進行になる可能性すらある。つまりこの流れは、事業会社にとって「いずれ来る未来」ではなく、すでに始まっている現在進行形の現象なのだ。
「AI人材育成」という名の、終わらないいたちごっこ
記事では、アクセンチュアが「AIを利活用できる人材を育成するための再教育計画」を打ち出したことにも触れられている。しかし、正直に言うと私はここに強い違和感を覚えた。
最新のAIツールを学び、最新の活用方法を身につける――一見前向きに見えるが、それは本当に意味があるのだろうか。
多くの企業が言う「AIを利活用できる人材の育成」の中身は、実際にはツール操作やプロンプト技法、最新ユースケースの追従に留まっている。しかしこれは、「技術の進化速度が人間の学習速度をはるかに上回っている」という構造的不利があるため、常に周回遅れになる。どれだけ学んだとしても、次のアップデートで即時陳腐化してしまう。
つまり、これは学習努力の問題ではなく、構造的に「いたちごっこ」なのだ。
今必要なのは、「AIを使える人」の育成ではなく、「AIが前提になった世界で、何を問う人を育てるのか」という問いへの転換である。これは技術論ではなく、認識論・存在論の問題だ。
技術偏重の経営が、問いを失わせている
この不毛ないたちごっこの背景には、経営の技術偏重があると考えている。哲学が欠如した経営の特徴は明確だ。
「できるからやる」
「代替できるから削る」
「効率化できるから人を減らす」
こうした手段合理性のみの判断が積み重なると、経営は価値判断を放棄した技術運用へと変質していく。
しかし本来、経営とは
「何を守るのか」
「何を育てるのか」
「何を捨てるのか」
という価値判断の連続である。AIは「どうやるか」は最適化できるが、「なぜやるのか」「やるべきなのか」には答えられない。
山口周さんがコメントで指摘しているように、コンサルティングにおいて価値が生まれるのは「情報収集」ではない。最上流の「アジェンダ設定」、すなわち良質な問いを立てる力だ。そしてこの力は、「前提を疑うこと」すなわち哲学的思考からしか生まれない。
①企業:AIで人を減らす前に、HRを再定義せよ
ここからは、①企業、②労働者、③政府の3つの視点で考えてみたい。まず企業について。
IBMの事例として「人事部門とのやり取りの94%以上がAIで行われている」という発言が紹介されている。だが、これは「現在そうなっている」という事実を示しているに過ぎない。それが「あるべき姿」ではない。
無能な経営者は「今、AIで94%できている?じゃあ人はいらないな」と短絡的に飛躍する。
しかし、特に日本はこれから労働人口が急激に減少していく社会だ。そこには組織の暗黙知が失われ、若手が育たないという不可逆な問題が存在している。つまり、人材こそが最大の経営資本になってくる。
その「人」を扱う唯一の部門が人事(HR)である。
これまでHRは「本当はやりたいことがあるが、ルーティン業務で手一杯」という状況に置かれてきた。AIによってルーティンから解放される今こそ、HRをカルチャー醸成や制度の前提設計、学習循環の設計といった本質的な役割に昇華させるべきだ。
ここでHRを短絡的に削るのは、将来の組織学習能力を自ら破壊する行為だろう。リストラで人を切ることは、将来の芽を自ら摘むことに等しい。
これは「理想論」ではなく、人口動態から見て唯一の現実解である。
繰り返しになるが、重要なのは「最新AIを使える人材を育てること」ではない。必要なのは、従業員の生涯を見通した学びの循環だ。
私が『HR再起動』(リンク:BBDF 『HR再起動』)で述べた通り、リスキリングとリカレント教育を統合し、学びが一度きりで終わらない「循環する学習(リスカレント)」へと舵を切る必要がある。(リンク:BBDF リスカレント」という新概念が切り拓く、学びと成長の未来)
②労働者:最もパラダイムシフトを迫られている存在
次に、労働者の視点。今、最も大きなパラダイムシフトを求められているのは、間違いなく労働者一人ひとりだ。「今持っているスキルは、もはや通用しない」…この厳しい現実を、全員が直視する必要がある。
最近特に強く感じているのが、高学歴=オフィスワークという固定観念の怖さだ。
知的労働がAIに代替される社会ではあるものの、身体性・現場判断・即応性といった部分に関しては、まだ人間の優位性が保たれている。よって、アメリカではすでに「ブルーカラービリオネア」と呼ばれる存在が登場し、知的労働と肉体労働の報酬が逆転する現象が起きている(リンク:日本経済新聞 米国でブルーカラービリオネア現象 AI発展で潤う肉体労働者)。これは、日本でも時間差で必然的に起こる現象だろう。
もはや「大卒=ホワイトカラー」という価値観は捨てるべきだ。私はあえてこう提案したい。
「オフィスを捨てよ、現場へ出よう」
仕事は、もはやオフィスにはない。現場にこそある。問題は、日本社会に学歴やホワイトカラー幻想、体を使う仕事への無意識の蔑視が強く残っていることだ。このパラダイムを急速に転回させなければならない。
これは個人の問題ではなく、文化の問題である。
③政府:必要なのは技術支援ではなく、価値観の転換
最後に、政府の役割について。
政府が最優先で取り組むべきなのは、中途半端なIT人材(プログラマ/エンジニア)を量産する近視眼的リスキリング政策ではない。
いま必要なのは、ホワイトワーカーからブルーワーカーへの労働移転を後押しする社会設計と、社会的メッセージの発信だ。つまり…
「大卒でも現場に出るのは普通」
「誇りある素晴らしい仕事である」
「現場仕事=低賃金ではない」
こうしたナラティブを再構築し、政府自らが発信していく必要がある。今すぐにだ。「大卒=オフィス」というこだわりこそが、これからの日本にとって最大のリスクになりかねないのだから。
ここをやらずにいくらプログラミング教育やリスキリング補助金を投じても、「中途半端な人材」を量産するだけで、何の本質的改善にもつながらないだろう。
技術ではなく、「思想」が問われている
今回の記事を通じて、改めて感じたのは、技術偏重こそが、この歪んだ状況の元凶だということだ。
だからこそ、私は、TPP(Technology/Philosophy/Politics)を三位一体で走らせる必要性を訴えている(リンク:BBDF AI超加速時代、「哲学」が再評価される理由:技術だけでは未来をつくれない。必要なのは“TPP”)。
Technology:AIは不可逆である
Philosophy:問い・意味・価値判断を担う
Politics:移行を支える制度とナラティブを構築する
この3つのどれが欠けても、未来は良くならない。
技術だけでは、人を壊す。
哲学だけでは、空論になる。
政策だけでは、形骸化する。
3つを同時に考えることでのみ、AI時代に人間と社会は前に進むことができる。
「AIで仕事がなくなる」という凡庸な議論はもう終わりにしよう。重要なのは、AI時代に人間と組織をどう“進化”させるかだ。問いを失った私たち自身が、未来を手放してしまう。そのことを、私はずっと恐れている。
人間×AI共進化ストラテジスト/HRアーキテクト
藤本英樹(BBDF)

