制度改革の前に問い直すべき「前提」

みずほFG人事改革の哲学的本質

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「素晴らしい人事改革事例」が、危険にもなり得る理由

みずほフィナンシャルグループ(以下、みずほFG)の人事改革について学ぶ機会がありました。間違いなく日本企業の中でも屈指の先進事例です(リンク:みずほフィナンシャルグループ〈かなで〉について)。

「中央集権型人事を捨て、社員のナラティブ(物語)を起点にキャリアを設計し、「辞めたら損」という足かせすら外す」――その覚悟と一貫性は、まさに称賛に値するものです。

しかし私は同時に、これは「安易に真似すると最も危険な改革」でもあると感じています。

なぜなら、みずほFGの取り組みは単なる「制度改革」ではなく、人事の前提そのものを問い直した改革だからです。表層的に制度だけをなぞれば、必ず失敗するでしょう。

理想論ではなく「危機対応」だった

まず押さえるべき前提として、みずほFGの人事改革は「人的資本経営が大事だから」「社員の自律を高めたいから」といった、平時の理想論ではなかった、という点があります。

背景にあったのは、度重なるシステム障害という「組織的危機」です。

「会社が引っ張っても、誰もついてこない」

この痛烈な自己認識・厳しい現実の直視こそが、改革の出発点だったのです。つまり「統治モデルが機能しなくなった」「中央集権的コントロールが限界を迎えた」という現実への対応です。

ここを見誤り「先進的だからうちも真似しよう」と安易に考えることは、最も危険な解釈です。

中央集権型人事を「やめた」のではなく、役割を再定義した

みずほFGは「中央集権型人事を捨てた」と言われますが、実態は人事の撤退ではありません。むしろ逆です。

「人事がすべてを決め、最適配置し、キャリアを与える」という、管理装置としての役割を手放し、

  • 社員の選択が生まれる構造を設計する
  • 部門が「選ばれる努力」をする
  • 人事は“門番”として関与する

という、高度化したものへ役割を転換したのです。単なる自由化ではなく、人事の前提を「管理」から「設計」へと転換する、極めて重要な試みです。

「ナラティブ」は美しいが、最も危険な言葉でもある

みずほFGはキャリアの中核に「ナラティブ(物語)」を据えました。会社がキャリアを描くのではなく社員が自ら人生と仕事を語る、という方向性は、本質的で素晴らしいものです。

しかし同時に「ナラティブ」ほど誤用されやすい言葉もありません。評価制度が変わらず、語った結果が不利になる(挑戦が減点される)なら、それは空虚なスローガンに過ぎず、社員のシニシズムを加速させてしまいます。

みずほFGの人事改革が成立しているのは、ナラティブを制度と構造に正しく埋め込んだからです。

「ナラティブ重視」だけを掲げて失敗した事例は多くあります。評価制度が旧来のままで、社員が語るほど損をする空気が生まれ、逆に離職率が高まる…これらの失敗企業とみずほFGが決定的に異なるのは、「制度と哲学を同時に動かした」点、になります。

「辞めたら損」を外すという重い決断

日本型雇用の三種の神器――終身雇用・年功序列・企業内年金。みずほFGは、この中核にあった「辞めたら損」を外しました。これは、人材流出を織り込み、短期的な痛みを受け入れ、それでも長期で選ばれ続ける覚悟を持つという、極めて重い決断です。

AI時代には、優秀人材が外部に流出しても、生成AIを活用することで知識やノウハウを補完できる環境が整いつつあります。だからこそ「辞めたら損」を外す決断は、AIを前提にした新しい人材戦略とも接続しているとも言えます。

失敗パターンは決まっている

このような人事制度改革に失敗する企業のパターンは、概ね次の4つに集約できます。

失敗① 「中央集権型人事をやめる」ことだけを真似する。
→ 配置がカオス化し、声の大きい人が得をするようになります。

失敗② 「手挙げ制度」だけを導入する。
→ 一部の人だけが疲弊し、管理職が崩れることになります。

失敗③ 「ナラティブ」を掲げるが、評価が変わらない。
→ 語れば語るほど、損をする空気が生まれます。

失敗④ 文化が未成熟なまま「自律」を求める。
→ 自律ではなく、自己責任化しか起こりません。

日本企業がまず問い直すべき最低条件3点

では、日本企業はどこから始めるべきでしょうか。答えは明確です。制度ではなく、「前提」の見直し、です。

① 人事=配置最適化装置という前提を捨てる

人事の役割を「最適配置」から「選択が起きる構造の設計」へ。ここが変わらなければ、他の改革はすべて形骸化します。

② 評価で「問い」を潰していないか?を点検する

評価は、組織で最も強いメッセージです。「正解の速さだけを評価していないか」「前提を疑う人が損をしていないか」の点検が必須です。問いを立てた人が損をしない設計こそが、最低条件です。

③「語っても安全な場」を、制度より先につくる

自律は、心理的安全性の上にしか成立しません。評価と切り離された対話の場や、語っても不利益にならない確証なしに、ナラティブが意味を持つことはありません。

ここで最も重要なのは、「経営者自身が哲学を持たなければならない」という点です。人事部門だけに任せれば、制度は形骸化します。まずは経営者が「問いを立てる文化」を率先して体現すること。これが最低条件です。

「哲学なき制度」は必ず機能しなくなる

ここまで見てきた通り、みずほFGの人事改革が成立しているのは、制度の精緻さなではなく、背後に一貫した「哲学」が存在しているからです。哲学とは「前提を疑う」行為のことです。みずほFGは前述の「組織的危機」を起点に、既存の制度を疑いました。そして、

人は本来、管理される存在なのか。

それとも、自ら考え、選び、語る存在なのか。

という、本質的な問いを立てた。この問いに答えないまま、どれほど優れた制度を導入しても、やがて統制へと変質してしまいます。自律は自己責任にすり替わり、評価は罰へと変わります。

実際、日本企業が繰り返してきた失敗の多くは、「正しい制度を、間違った前提で使ってきた」ことに起因しています。

TPPで考える:制度が機能する正しい順番

ここで重要になるのが、私が提唱しているTPPという視座です。

  • Technology(技術・メカニズム)
  • Philosophy(哲学・人間観・価値観・問い)
  • Politics(権限配分・評価・意思決定)

この3つは同時に、そして正しい順番で動かなければなりません。みずほFGの事例が示しているのは、まさにこの点なのです。

  1. 統治モデルへの違和感
  2. 人間観の問い直し
  3. その上での制度実装

まずこれを正しく行うことができたからこそ、制度が「生きた」のです。逆に言えば、哲学なきままいくらTechnologyとPoliticsだけを動かしても、改革は必ず失敗します。

制度より前提を変えよ

AI時代、日本企業に問われているのは「最新の制度」ではないのです。

人をどう見るのか

組織をどこまで信じるのか

どこまで覚悟を持てるのか

いかに素晴らしい制度でも、そこに哲学がなく、順番を守らなければ、機能することはありません。みずほFGの人事改革は「制度を変えよ」と言っているのではなく、「前提を問い直せ」つまり「哲学せよ」と、私たちに迫っているのです。

そしてもちろん忘れてはならないのは、従業員視点です。社員が安心して語れる場があることで挑戦が増え、組織学習が加速する。AIが答えを提供する時代だからこそ、人間が「問い」を発する場を守ることが、企業の競争力を左右します。

制度より前提を変える――これこそが改革の本質であり、多くの日本企業に突きつけられた課題です。

人間×AI共進化ストラテジスト/HRアーキテクト
藤本英樹(BBDF)