AI/BANI時代のコペルニクス的転回

経路依存性、人間中心主義、そして世界観の終焉

· Insights

AIの進化が引き起こす「見えない大転換」

AIの進化は、これまでの技術革新(General Purpose Technology:汎用目的技術としてのGPT)とは全く異なる性質を持つ(参考リンク:BBDF 「GPTはGPTか?」)。

従来のGPTが主に人間の肉体労働を代替してきたのに対し、AIが代替するのは知的労働である。しかもスケーリング則によるその能力向上は留まるところを知らず、いま人類は史上初めて「知性の中心」から転落しつつあるという、極めて大きな構造変化の只中に立たされている。

にもかかわらず、多くの人はこの事実を直視しようとしない。特に日本社会では、「昨日までのやり方で明日もなんとかなる」という思考が根強く、AIがもたらす史上最大のパラダイムシフトを“例外的な変化”として扱う傾向が強い。

本稿では、この「見えない大転換」を、クーンのパラダイムシフト、BANI、経路依存性、人間中心主義といった観点から整理し、現代の変化をどう捉えるべきかを考えてみたい。

クーンのパラダイムシフト:世界の見え方が変わる瞬間

『科学革命の構造』で知られるトーマス・クーンが示した「パラダイムシフト」とは、 世界の前提そのものがひっくり返る瞬間を指す。

その典型が、天動説から地動説への転換だ。同じ天体の動きを見ているにもかかわらず、天動説の世界と地動説の世界では、世界そのものが違って見える。

クーンが強調したのは、新旧パラダイムは互換性がなく、旧パラダイムの言語では新パラダイムを理解できないという点である。

これは、現代のAIにもそのまま当てはまる。

天動説→地動説に見る「抵抗勢力」の構造

天動説が長く支配的だった背景には、宗教権力の強さだけではなく、より深い構造があった。そこには、「既得権益が揺らぐ」という恐れや、社会制度が天動説に最適化されていたという社会的構造の硬直性、そして、人々の世界観が天動説を前提にしていたという既成概念の存在があった。

つまり、パラダイムシフトは合理性だけでは進まない、ということだ。そして、現代のAIの進化に対する抵抗にも、これと同じ構造を見てとることができる。

現代の最たる抵抗勢力:経路依存性(Path Dependence)

特に日本企業に根強く存在する抵抗勢力が、この「経路依存性」である。高度成長期に成功したやり方が、そのまま“正しい方法”として固定化されてしまっている現象だ。

  • 過去の成功体験
  • 年功序列
  • 合意形成文化
  • プロセス重視
  • 失敗回避

これらは一見すると安定を生むように見える(そして過去には実際そうだった)が、同時に経営者を“変わらなくていい立場”に置いてしまう。つまり、構造が変化を拒む経営者を生み出し、守っている。

AI/BANI時代には、これらは確実に「変化を拒む構造」として働く。経路依存性が強い組織ほど意思決定は遅れ、新技術への対応も遅れる。パラダイムシフトを“例外”として扱い、変化を直視しない。

AIのような破壊的技術は、組織の「中核プロセス」に直接影響を与える。しかし経路依存性の強い組織は、中核プロセスを変えられず、変えると組織全体が崩れてしまうため、変えない……という悪循環に陥る。

BANIの“Brittle”:「表面は堅固、内部は脆弱」

現代の世界を表すフレームワーク「BANI」の中でも、特に重要なレンズが Brittle(脆弱な)だ。

Brittleとは、表面上は堅固に見えるものの柔軟性がなく、一点が壊れると全体が崩壊するという状態を指す。そ日本企業はまさにこの状態にある。

経路依存性が強いほど、変化に対応する柔軟性が失われ、AIのような破壊的変化が来たときには、ゆっくり壊れるのではなく、突然粉々に崩壊する。これがジャメイ・カシオの言う“Things Fall Apart”の正体だ。

「昨日までのやり方で明日もなんとかなる」という前提は、AI/BANI時代には成立しない。指数関数的な変化に対して、線形の意思決定では追いつけないのだ。その結果、

ある日突然、競争力が消え、
ある日突然、事業が成立しなくなり、
ある日突然、組織が機能不全に陥る。

これが“Things Fall Apart”現象である。

人間中心主義(Anthropocentrism)への違和感

AIの議論では「Human-Centered」という言葉がよく使われる。 EUの「AI Act」などはその典型だ。しかし、これは倫理的に聞こえる一方で、 実は「人間が中心であるべき」という無意識の“宗教”でもあるように感じている。

人間は長い間、「自分たちが地上で最も賢い存在である」という前提で世界を見てきた。しかしAIの登場は、この前提を揺るがしている。AGIの定義は定まっていないが、少なくとも私から見ると、AIはすでに多くの人間の知能を上回っている。

だからこそ、多くの人はAIを“便利な道具”として扱い続け、“自分より賢い存在”として認めることを避けようとする。

果たしてそれは正解なのだろうか?

生物中心主義という視点:人間中心の終わり

人間中心主義に対する違和感は、 「生物中心主義」という視点に置き換えると整理しやすい。

AIは人間のためだけに存在すべきなのか?

そもそも人間は地球の中心なのか?

人間は他の生物に対して責任を果たしてきたのと言えるのか?

こうした問いこそが、AI時代における価値観の再構築を促す。

私はAIの登場と進化が、傲慢になり過ぎた人間への“天罰”(*1)となり得る可能性を感じているが、その感覚は、人間中心主義の終わりを象徴しているのかもしれない。

*1:“天罰”という言葉は比喩だが、 人間中心主義が限界を迎えつつあるという感覚を、多くの人が共有し始めているのは事実だろう。

なぜ日本の経営者は変化を直視できないのか

AIの凄まじい進化を前にしても、多くの人(特に経営者)はその変化を直視しない。その理由は明確だ。

  • 自己価値の崩壊への恐怖
  • 過去の成功体験への依存
  • 道具観の崩壊
  • 経営者層が最も変化を拒む構造
  • 「昨日までのやり方で明日もいける」という延命幻想

これらが複合的に働き、この人類史上最大のパラダイムシフトを“見ないようにする”心理が生まれているのだ。AIのような一大変化を認めることは、

  • 自分の判断基準が古い
  • 自分の経験が通用しない
  • 自分の地位が揺らぐ

という“自己否定”に直結するため、無意識に拒絶するのだ。

特に日本企業は、「改善(カイゼン)」で勝ってきた歴史を持つため、「破壊的変化」を前提に考える文化が弱い。そして経営者は“変化を理解する能力”よりも“組織を維持する能力”で選ばれてきた。調整力や根回し、社内政治、既存事業の維持といった能力が評価され、AIのような破壊的変化を理解する能力は評価軸に入っていない。

過去のやり方で成功し、その成功体験が評価されて昇進した彼らにとって、過去のやり方を変えるインセンティブはない。つまり、変化を必要とする人が、変化を最も嫌う構造になっている。

先週の別府湾会議(国内外のAI研究者・経営者が集まる会議。参考リンク:BBDF 「フルスペクトラム・シンキングの旅(大分編)」)でGenesisAI今井代表が語ったように、AIの進化は日単位で進んでいる。しかし日本企業の意思決定は年単位。グローバルの競争において太刀打ちできないのは当然だ。

では、私たちはこの変化の中で何を選ぶべきなのか。

パラダイムシフトを“見る側”に立つということ

AI時代がもたらす変化は、天動説→地動説以上のパラダイムシフトになる可能性が極めて高い。そのとき、変化を拒む側にいるのか、変化を理解する側にいるのかで、未来の立ち位置は大きく変わる。

経路依存性に縛られた組織は、確実にBrittleという脆さを抱えたまま崩れていくだろう。そして経路依存性の強い組織ほど、この「突然性」は強くなる。

しかし、個人は違う。個人は、パラダイムシフトを“見る側”に立つことができる。その第一歩は、違和感を言語化し、世界の前提を問い直すことだ(参考リンク:BBDF 「違和感を言葉に変えるとき、見えてくる世界」)。

私たちが感じている「違和感」は、まさにそのための出発点になっている。構造を理解している個人が増えれば、組織のほうが変わらざるを得なくなるだろう。

人間×AI共進化ストラテジスト/HRアーキテクト
藤本英樹(BBDF)