先週は、自分でも少し無茶だと思いながら、思考と体力をフル稼働させた一週間だった。
水曜日は東京で、自ら主催したBANI/BANI+セミナーを開催。徹夜でスライドを仕上げ、VUCAではもはや捉えきれなくなった世界を、BANI(Brittle / Anxious / Nonlinear / Incomprehensible)というレンズでどう読み解き、どう行動につなげるかを語った。(参考リンク:BBDF 12/10 BANI/BANI+ セミナー)
そして木曜日の早朝、LCCで大分へ。「第19回 別府湾会議(AI未来会議)」に参加するためだ。
金曜午後には東京に戻る必要があったため、とんぼ返りにはなったが、どうしても行きたい理由があった。そこに出会いとヒントがある予感が、どうにも強烈だったからだ。
結果から言うと、この判断は完全に正解だった。
いきなり目から鱗が1000枚落ちた
基調講演は、京都大学大学院文学研究科・出口康夫先生による「人間とAIのあるべき関係:WEターンから考える―価値多層社会の実現に向けて―」。

ここ10年で聞いた中で、間違いなく最高の講演だった。誇張でも比喩でもなく、文字通り目から鱗が1000枚は落ちた。
AI、社会、意思決定、人間の尊厳――扱うテーマ自体は、私自身ここ数年考え続けてきたものだ。しかし、その切り口がまったく違った。理論でも流行語でもなく、楽観論でも悲観論でもない。そこにあったのは、世界をどう見ているかという「姿勢」そのものだった。
「社会が行方不明になっている」
冒頭の先生の言葉が、胸に深く刺さった。
「いま、社会が行方不明になっている」
この一言で、すべてが腑に落ちた。
制度はある。組織もある。ルールもデータも溢れている。それなのに「なぜこうなっているのか分からない」「誰が決めているのか見えない」「責任の所在が掴めない」……これはまさに、BANIで言うIncomprehensible(理解不能な)の核心だ。
理解不能とは、情報が足りない状態ではなく、意味が失われた状態である。出口先生は、それを難解な理論ではなく、「社会が行方不明」という生活感覚の言葉で言い当てていた。
Self as WE、そして「WEターン」
さらに衝撃だったのが、先生の提示する「Self as WE」という考え方だ。
自分が決断したと思い込んでいることの背後には、実は多くの人やモノ(WE)の影響がある。私たちは普段、「自分で考えた」「自分で決めた」と思い込みがちだ。しかしそれは幻想にすぎない。実際には、過去に読んだ本や出会った人、社会の空気、技術や制度、セレンディピティ……無数の「WE」によって、思考も判断も方向づけられている。すべては共同決定であり、WEとは共に汗かく身体行為の共同体なのだ。この事実に自覚的になることが、「WEターン」である。
「“わたし”一人でできる行為など何一つない」
この主張は、現代人の傲慢さを見事に射抜いていた。これはPositive BANIで言えばInterconnectedの思想と重なる。傲慢な無知から脱却し、謙虚さをもって外部知と相互接続する――そのための行動指針だ。出口先生の凄さは、それを「構造」ではなく、人間の態度・倫理として語った点にあった。
「できなさターン」と人間の尊厳
もう一つ、深く刺さったのは、
「人間の尊厳は、“できないこと”にある」
という言葉、そしてそれに結びつく「できなさターン」という発想だ。
これはソクラテスの「無知の知」と直結している。そして同時に、BANIの時代、AIの時代における人間の立ち位置を驚くほど正確に射抜いている。
AIは速く、正確で、休むこともなく、感情に左右されない。「できる」ことにおいて人間を凌駕しつつある(先生は「凌駕機能体」という言葉を使っていた)。だからこそ、分からないことに留まる力、他者に委ねる力、自分の限界を認める姿勢こそが、人間の尊厳になる。この視点はPositive BANIで言うAttentiveやNeuroflexibleとも重なる。
独裁は、なぜ強そうに見えて脆いのか
講演を聴きながら、私の頭には日本の中小企業の姿が浮かんでいた。
日本企業の99.7%は中小企業であり、その多くはオーナー企業だ。もしそれらがすべて「自分が決めている」という物語に依存した独裁的・ワンマン型の経営だとしたら……BANIの世界において、それらは極めてBrittle(脆弱な)存在となる。
独裁は強そうに見える。だが実態は、判断が一点に集中し、修正が効かず、間違いを認められず、環境変化に追随できない。つまり壊れやすさ(Things Fall Apart=一見強固に見えるものが、ある瞬間粉々に崩壊すること)の塊だ。ここにこそ、WEターンが必要なのではないか。
「思想」ではなく「経営改善」としてのWEターン
重要なのは、WEターンを「美しい思想」として語らないことだ。社長個人に集中している意思決定リスクを分散し、判断の品質と持続性を高める経営改善そのものとして捉えるのだ。
属人化リスクの低減、判断疲労の軽減、社長不在耐性の向上……これは単なる哲学ではなく、経営の強度を高める実務へと転換できる。
阻止しなくてもいい、という直感
正直に言うと、私はこうも感じている。「すべての企業が生き残る必要はないのではないか。」
Things Fall Apart は、BANI時代には避けられない。真に重要なのは、独善的な企業が壊れることではなく、人や知や関係性(WE)が失われることだ。WEターンとは、「企業を永遠に存続させるための思想」ではない。崩壊しても再結合できる社会をつくる思想なのだ。
大分で得た刺激の数々
当日は他にも多くの刺激を得ることができた。
GenesisAIの今井先生(2026の松尾研講座も楽しみにしています!)からは、スケーリング則によるAI性能の向上、自己改善ループに入りかけている事実、動画生成技術の進化がもたらす可能性、そして「賢さ」ではなく「便利さ」の研究がAI研究の後半戦となることなどを、実体験に基づきながら伺った。Gemini3.0とNano Bananaの事前学習スケーリングで「霞が関スライド」が作れた話は衝撃だった。
IPA平本センター長のAIガバナンス、デジタルハリウッド大学橋本教授の最新AI活用法、クラフター小島代表の導入事例、Hundreds大塚代表のインパクトある発表、渡辺副所長を始めとするハイパー研の見事な仕切りと細部にまで気を配る運営……どれも舌を巻くレベルの素晴らしさだった。
そして、交流会では私にもピッチの時間をいただき、TPP理論について語らせていただいた(参考リンク:BBDF 技術だけでは未来をつくれない。必要なのは“TPP”)。目の前に出口先生がいらしたため、僭越の極みではあったが、貴重な機会となった。

日本ではいま、AIを巡る議論が技術論や効率論に偏りがちだ。しかし本当に問われているのは、「人間はどのような態度で世界と関わるのか」という、より根源的な問題ではないだろうか。
フルスペクトラム・シンキングの旅の終着点
東京でBANIを語り、翌日、別府でWEターン(出口先生)と出会った。振り返ると、この移動は単なる出張ではなかった。自分がこの数年考え続けてきたことを、別の角度から照合する、まさにフルスペクトラム・シンキングの旅だった。
出口先生に出会えたことは本当に大きな幸運だった。早速ご著書を複数冊購入し、むさぼるように読んでいる。そして、BANIというレンズが日本の思想とここまで美しく接続できることを知ったのは、何より大きな希望となった。
これからも、「無知の知」をベースに、外部知と相互接続し、謙虚さをもってフルスペクトラム思考を続けていきたい。Interconnectedであることを意識しながら、未来に向けて歩みを進める決意を新たにした次第である。
人間×AI共進化ストラテジスト/HRアーキテクト
藤本英樹(BBDF)

