「言葉」の大切さを改めて感じています。
名前づけ=発見行為
フランスの歴史学者フィリップ・アリエス(Philippe Ariès)は、1960年の著書『<子供>の誕生』で、中世ヨーロッパには「子ども」という概念が存在していなかったと指摘しています。 当時の社会では、子どもは「小さな人間」としてのみ扱われていたのです。そのために、7歳前後になるとすぐに労働や大人の世界に組み込まれていました。
絵画にもその痕跡があり、当時は子どもが描かれていても顔つきや服装はまるで大人のミニチュア。また、「子ども時代」という発想そのものがなかったため、教育も遊びも、子ども専用の文化も存在しませんでした。
つまり、「子ども」という概念は、近代になって初めて“発見された”存在だったのです。「子ども」は「子ども」という名前が与えられたことで、初めてその存在が社会的・文化的に認識され、守るべき対象として扱われるようになりました。
ここに言葉の力、そして名前の持つ意味の大きさがあります。つまり、名前がつくことで、世界が変わるのです。
最近、私たちが生きる上で持つ「違和感」の多くは、「そこにまだ名前がないこと」によるものではないか考えています。感覚と言語の間の空白というか。名前がないと、私たちはその感覚をうまく認識できませんし、共有もできません。そのため、何かモヤモヤするけど説明できない。誰かに伝えようとしても「なんか変なんだけど…」で終わってしまう。それが「違和感」として残るのではないでしょうか。
過去の「名前付け」実践例
前述の「子ども」以外に、以下のようなものも挙げられます。
- 「モラルハラスメント」という言葉がなかった時代には、人はただ「なんか嫌な感じ」としか言えなかった。
- 「ヤングケアラー」という言葉が生まれたことで、子どもが家族を支えるという現象が社会問題として可視化された。
- 自分の体や感情が遠くにあるような、現実から切り離されたような感覚を「離人感」と1898年に名づけたフランスのデュガス。
- 世界が夢の中のように感じる感覚を「現実感消失」と名づけたマイヤー=グロス(1935年)。
そこに名前がついた瞬間、「それそれ、それだったんだ!」と、違和感が“言葉”に変わるのです。そしてその言葉が広まると、個人の感覚が社会的な現象として認識されるようになります。
勝手に名前をつけて「違和感」を解消してみる
1. 寝ている時に起こる、足を動かしたくなる衝動
例えば、寝ている間に足が勝手にピクピク動く症状はないでしょうか?PLMD(周期性四肢運動障害)と呼ぶものらしく、ドーパミンの働きや鉄分不足が関係している可能性があるそうです。似たものにRLS(むずむず脚症候群)というものもあります。じっとしている時に足に不快感が出て、動かしたくなる衝動が起きる症状です。
私はどちらも良くわかるのですが、あの感じは、その名に反して単なる「むずむず」ではない気がするのです、どうしても。痛くもかゆくもない、でもじっとしていられない、しかも勝手に動く…あの何とも言えない感覚。なんかちょっと電気信号ぽくて、神経がピリッと反応する感じ。無意識の微振動。
命名します……「ぴずぴず」か「ずずずみ」!
これはオノマトペしかないでしょう。普通に「いや昨日の夜、ぴずぴずがひどくてさ〜」と言えるようになれば、なんとなく安心できます(私は)。
2. 尿管結石の痛み
私は2度やっているのですが、尿管結石の痛みは、人間が味わうもので出産に次ぐ2番目の激しさと言われています。つまり、男性にとっては“人生最大の痛み”。「激痛」などという言葉ではまったく足りません。しかも、出産にはまだその痛みの先に希望やゴールがありますが、それが全くないのです。ちっちゃな石しか出て来ませんから(笑)。痛みに耐える理由が全くみつからない。自分という存在を全否定されているような感覚すらあるものです。
命名します……「虚痛(きょつう)」!
英語だとNull + Acheで「Nullache」でしょう。もう2度と味わいたくないものです。
3. なんか話が通じない人
自分とは共感やタイミングが全く合わない感じの人っていないでしょうか?既存の言葉だと「空気が読めない」「価値観が違う」「会話が噛み合わない」などがありますが、どれも微妙に違う感じというか。悪意の有無ではなく、リズムの問題なのか、うまくスイングしない感じの人。
命名します……「ノンシンクロさん」。
英語だと「リズムが合わない」という点に焦点を当て「Offbeatian」とかがカッコ良いかもしれません。て、別にカッコ良さは必要ないのですが。
新しい言葉で、新しい思考フレームを
まだまだ沢山の「違和感」が存在しています。「違和感」は名前がないことによって“未定義のまま放置されている感覚”なのかもしれません。そしてその空白に名前をつけることが、新しい理解と対話の始まりになるのです。
BANIの提唱者であるジャメイ・カシオさんは、2020年の論文「Facing the Age of Chaos」を、このように締めくくっています。
Something massive and potentially overwhelming is happening. All of our systems, from global webs of trade and information to the personal connections we have with our friends, families, and colleagues, all of these systems are changing, will have to change. Fundamentally. Thoroughly. Painfully, at times. It’s something that may need a new language to describe. It’s something that will definitely require a new way of thinking to explore.
今、巨大で、圧倒的な変化が起きつつある。世界の貿易や情報の流れだけではなく、家族や友達、同僚との個人的なつながりに至るまで、あらゆるシステムが変化している。しかもそれは、根本的に、まるごと、時に痛みを伴って変わらざるを得ないような変化だ。それをきちんと語るには、今までの言葉では足りないかもしれない。そしてそれを乗り越えるには、まったく新しい考え方が必要になる。
新しい言葉こそが、新しい世界の入り口です。違和感に名前を与えることは、未来を形づくる最初の一歩なのです。この混沌の時代を生きる私たちにこそ、その力が求められていると考えます。
BBDF 藤本