あの日、社会の脆さを見た
2021年、デルタ株が猛威を振るっていた頃、私は突然の高熱と呼吸困難に襲われ、救急搬送された。病院に着いたときにはすでに意識が朦朧としており、気づけば人工呼吸器につながれていた。
あのときの恐怖は、単なる「病気の苦しさ」ではなかった。社会が壊れていく音を、身体の中で聞いたような感覚だった。
病床は逼迫し、救急はパンクし、医療従事者は疲弊していた。私はタイミング的に運良く入院できたが、その後はそうもいかなくなった。現場は崩壊寸前だった。
この経験は、私に一つの問いを残した。
私たちの社会は、なぜこんなにも脆いのか。
そして、次の危機にどう備えればいいのか。
なぜデルタのような強毒株は現れなくなったのか
デルタ株罹患の苦しさは強烈だった。人生にそう多くはない「死を覚悟した瞬間」だった。しかしその後、同じレベルの強毒株は現れていない。これは偶然ではない。ウイルスには「進化の方向性」があるのだ。
① ウイルスは“重症化”より“拡散”を優先する
重症化させすぎると、宿主が動けなくなり、感染が広がらない。そのためウイルスは「広がりやすさ」を優先して変異する傾向がある。
② オミクロンは“上気道で増える”性質に変わった
肺ではなく鼻や喉で増えるようになり、感染力は高いが重症化しにくくなった。
③ 人間側の免疫が広がった
ワクチンと自然感染により、強毒株が広がりにくい環境ができた。
つまり、強毒株が“出ない”のではなく、“生き残れない”状態に進化したのだ。
だからこそ、私は「コロナは風邪だ」と軽々しく宣う人を信用しない。コロナは「風邪のようなもの」に変異しただけであり、私を殺しかけたデルタ株は、紛れもなく「殺人ウィルス」だった。
次のパンデミックは必ず来る
デルタのような強毒株は戻らない可能性が高い。しかし、次のパンデミックは必ず来る。世界の公衆衛生機関は、すでに「Disease X(未知の病原体)」を前提に動いている。
新型インフルエンザや新たなコロナ類似ウイルス、そして動物由来の未知ウイルスなどはすべて現実的な脅威だ。コロナを「当初からただの風邪だった」と語る危機感の欠如した姿勢では、この脅威に備えることはできない。
技術は進歩した。ゲノム解析は高速化し、mRNAワクチンは短期間で設計できるようになった。しかし重要なのは、技術が進んでも、社会の脆さは別問題だということだ。
“Brittle”(脆弱)な日本の医療システム
日本の医療は、平時には世界でもトップクラスの効率を誇る。しかし、有事には脆い。その理由は構造にある。
● 病床は多いが、動かす人がいない
ICU看護師、救急医、感染症専門医は慢性的に不足している。
● 地域偏在が深刻
都市部はまだ耐えられても、地方は一点破綻が全体崩壊につながる。
● 行政・保健所の情報処理が限界
コロナ初期の混乱は、構造的な問題の表れだった。
● 高齢化がリスクを増幅
高齢者施設は、次のパンデミックでも最も危険な場所になる。
つまり、日本の医療は“平時最適化”されすぎていて、余白(バッファ)がない。そのため、ショックに弱い。
これはまさにBANIの“Brittle”(脆弱な)の典型だ。
次のパンデミックで最初に壊れる場所
では、次の危機ではどこが最初に壊れるのか。結論から言えば、以下の順番になる可能性が高い。
1. 医療従事者(人)
2. 地域医療(特に地方)
3. 救急医療
4. 行政・保健所
5. 高齢者施設
6. 医薬品・物資の供給網
特に重要なのは、最初に壊れるのは設備ではなく“人”であるという点だ。病床は増やせても、動かす人は急には増えない。これは人口減少社会の宿命だ。
どこを強化すれば“壊れない社会”に近づけるか
人口が減り、効率化が進み、余白が消えていく社会で、どうすれば「壊れない仕組み」を作れるのか。
答えは、決して「人を増やす」ことには、もはやないのは明確だ。それは“余白を再発明する”ことにこそある。以下に、現実的かつ本質的なアプローチを示したい。
1. スラック(余白)を意図的に設計する
まず、外資コンサルファーム勤務時に存在していた「Available」の概念をベースに考えたい。これは、まさに余白の設計だった。プロジェクトに参画していない状態の人員を常に一定数確保し、有事に備える仕組みだ。
・稼働率を常に100%にはしない
・有事に捨てる業務を事前に決めておく
・余白を“コスト”ではなく“投資”と捉える
余白はムダではなく、レジリエンスの源泉である。この概念は、医療だけでなく、あらゆる組織に応用することができる。
2. マルチスキル化と柔軟な役割設計
人口が減るなら、一人あたりの可動範囲を広げるしかない。
・クロストレーニング
・兼務可能な職種設計
・機能ベースの役割分担
これにより、少人数でも「再配置」で耐えられる組織になる。
たとえば、シンガポールの各省庁は、平時から他省庁の業務を理解しており、危機時には保健省・国防省・デジタル庁などの職員が混成チームを組むそうだ。パンデミック時の意思決定を高速化するために、役所の縦割りを“人材の横断”で解消するモデルと言える。
もちろんトヨタ生産方式における“多能工化”も、レジリエンスの基盤として大きな参考になるだろう。
3. 自動化とAIで“人がやらなくていい仕事”を剥がす
人員バッファが作れないなら、仕事の方を減らすしかない。
・事務作業の自動化
・AIによるトリアージ
・データ集計・報告の自動化
これにより、人は「人にしかできない仕事」に集中できる。
英国NHS(国民保健サービス)のAIトリアージ「Ask NHS」は代表的な例だ。症状を入力すると、AIが緊急度を判定し、「救急へ行くべきか」「自宅療養でよいか」を案内する仕組みだ。医師の初期対応をAIが肩代わりし、医療の逼迫を防いでいる。
Amazonの自動倉庫も、人がやるべき仕事を選び直すことで労働力不足を補う、という観点で参考になるだろう。ロボットが棚を運び、人間はピッキングだけに集中しているのだ。倉庫作業の大部分が自動化され、少人数で巨大な物流を回すことができている。
4. モジュール化されたネットワークを作る
一点破綻が全体崩壊につながるのは、システムがモノリシック(一枚岩)だからだ。
・小さなユニットのネットワーク化
・切り離し可能な構造
・代替ルートの確保
これは医療にも企業にも国家にも応用できる。
イスラエルには“クリニック分散モデル”というものがあり、大病院に患者が集中しないよう、地域の小規模クリニックが検査・軽症対応・ワクチン接種を担っている。仮に大病院が壊れても、地域医療が全体崩壊を防ぐ仕組みだ。
IT業界では、“モジュール化=レジリエンス”がもはや常識となりつつある。Netflixはシステムを小さな独立モジュールに分割し、一部が落ちても全体が止まらない構造にしている。
5. コミュニティという“第三の層”を育てる
人口減少社会では、正社員的な人員だけでは支えきれない。
・地域ボランティア
・NPO
・企業・学校との連携
これらが「社会の Available」として機能する可能性がある。
熊本地震で行政が機能不全に陥った際、地域ボランティアが物資配布・避難所運営・情報共有を担った。
また、パナソニックなどの企業には“地域共助モデル”があり、災害時に社員が地域の避難所運営を支援する制度を整備している。企業が“社会の第三の層”として機能する可能性を示す例であり、企業の役割は、もはや経済活動だけではないことがわかる。
6. 「効率」を再定義する
最後に必要なのは、価値観の転換だ。
“余白を持つこと自体が、長期的な効率である。”
OECDも世界銀行も、ポストコロナの分析でこの同じ結論に至っている。
「効率」ではなく「しなやかさ」を。
「最適化」ではなく「余白」を。
「平時の合理性」ではなく「有事の耐性」を。
結局、実はこれらこそが「最も効率的」な考え方なのだ。
コロナでサプライチェーンが止まったとき、それまで善とされてきた“在庫ゼロ”の効率モデルが実はBrittleの最大要因であることが露呈した。効率は短期的利益の最大化はするが、危機には極めて弱い。
スイスでは、食料・医薬品・燃料を国家が大量に備蓄し、企業にも一定量の備蓄を義務付けている。余白を“国家戦略”として制度化している例だ。
また、Googleの“20%ルール”も、考え方の例として参考になる。社員が業務時間の20%を自由プロジェクトに使える制度のことで、GmailやGoogle Newsはこの余白から生まれたとされている。
つまり、余白こそが創造性とレジリエンスの源泉なのだ。従業員を極限まで使い倒し、疲弊させ、退職に追い込む企業に、BANI世界での未来は訪れるだろうか?
壊れゆく社会をどう生きるか
デルタ株罹患の経験は、私に一つの真実を突きつけた。
社会は思っている以上に脆い。しかし、脆さは設計で減らせる。
人口減少社会でも、人員バッファが作れなくても、“余白の作り方”は再発明できる。
そしてもう一つ。
個人もまた、自分の“余白”を設計できる。
情報源を絞る。
初動の備えを整える。
自分のリスクを理解する。
働き方に余白を持たせる。
社会全体はすぐには変えられないかもしれない。しかし、自分の周りのBrittleを減らし、Bendableにすることはできる。
その積み重ねこそが、壊れにくい社会の土台になるのではないだろうか。
人間×AI共進化ストラテジスト/HRアーキテクト
藤本英樹(BBDF)

