「自虐史観」とは、自国の歴史を過度に否定的・批判的に捉える歴史観を指す言葉です。特に日本では、第二次世界大戦後の歴史教育や報道において、自国の戦争責任や加害行為が強調されすぎていることに対して、批判的に使われます。
現代では、「自虐史観」という言葉自体が批判的なレッテル貼りとして使われることもあり、歴史認識をめぐる議論では慎重な扱いが求められます。しかし本稿では、敢えてそのまま使うことで、現代の日本における安全保障リスクを考察してみたいと思います(文中に登場する人物に関しては敬称を略させていただきます)。
「自虐史観の形成史」5つのフェーズで構造的に理解する
まず、この「自虐史観」がどのように形成されて行ったのかを、構造的に理解する必要があるでしょう。
フェーズ①:GHQによる占領政策(1945〜1952)
戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は、日本社会の「非軍国主義化」と「民主化」を推進しました。例えば「プレスコード」による言論統制が挙げられます。天皇批判はNGでしたが、戦前の日本軍批判は奨励したのです(1945年〜1947年)。また、「日本国憲法」と「教育基本法」を策定し、軍事教育・修身科は廃止されました(1946年)。
これらにより、日本国内で「戦争は日本が一方的に悪かった」という単線的ストーリーが制度化されました。東京裁判における“戦勝国史観”が、国内歴史認識の根幹になったのです。GHQは単なる物理的統治だけでなく、情報戦略の一環として「戦争犯罪意識の植え付け」を目的とする情報操作(WGIP)を実施したとする説もあり、歴史観そのものを再編成する試みだったと見る向きもあります。
フェーズ②:戦後教育の再構築(1950年代〜1970年代)
教科書検定制度が導入(1953〜)され、文部省検定により戦前の功績的記述は抑制されました。また、平和教育・反戦教育を軸にする、日教組(日本教職員組合)が強い影響力を持つようになりました。原爆や沖縄戦など、「加害より被害」に重きを置く戦争観が普及しました。
その結果として「日本は愚かな戦争を起こし、多くの国に迷惑をかけた」という意識が、社会常識化しました。学校教育を通じて、世代を超えた“贖罪意識”が内面化されたのです。
フェーズ③:高度経済成長と“戦争の封印”(1960〜80年代)
経済発展を最優先し、歴史認識や安全保障の議論はタブー化されました。吉田茂は、経済復興を優先した「吉田ドクトリン」により、安全保障議論を封印しました。その一方で、丸山真男ら知識人は、戦前の全体主義批判を通じて「戦後民主主義」を理論化していきました。自衛隊・安保条約に関する議論では、左派・進歩的知識人の「非武装中立」論が主流になっていきました。
政治的には「55年体制下の左右対立構造」が定着し、多くの国民は歴史への無関心と「漠然とした贖罪感」の中で暮らすようになりました。
フェーズ④:「歴史教科書論争」と右派の台頭(1980年代以降)
教科書検定で「侵略→進出」書き換え問題が起こり、国際問題化(日中関係が悪化)しました(1982年)。また、1990年代には、従軍慰安婦・南京事件などの歴史認識が国内外で再燃しました。自民党右派や保守派(藤岡信勝、西尾幹二など)が「自虐史観批判」を展開したのもこの頃です。そして90年代後半には、「つくる会」など、新しい歴史教科書を目指す試みも登場し、2001年にはその教科書が実際に採択されました。これらにより、左右の歴史認識対立が社会分断になっていったと言えます。
フェーズ⑤:ポスト平成時代と「脱自虐」への模索(2000年代〜現在)
安倍政権下で「戦後レジームからの脱却」が掲げられ、自衛隊明記、歴史教育改革が議論になりました。一方で、韓国・中国との歴史問題は引き続き外交リスクに。若年層の間では、「贖罪感よりも防衛現実主義」を支持する空気も強まっています。若者を「過去」ではなく「現在の脅威」に目を向けさせる契機となったのは、安全保障環境(台湾有事・北朝鮮・中国の海洋進出)でしょう。その中で「自虐でも開き直りでもない、第三の歴史認識」が今、模索されつつあります。
「戦争=絶対悪」という思想は「条件付きの真理」
戦争はもちろん回避すべき最終手段です。ただしそれは、「すべての手段を尽くした上での選択肢」だからこそ成立する概念でもあります。戦後日本では、GHQの占領政策のもとで「加害者としての記憶」が殊更強調されました(東京裁判、教科書検定など)。その結果として、「戦争=侵略」という概念が単純な等式として社会に刷り込まれ、自衛戦争や集団的防衛の議論さえも感情的に封殺されてしまったのです。
このような構造により、国民の間に「防衛意志の麻痺」と、ある種の「無責任な平和信仰」をもたらしました。今、問題とすべきは、自衛の戦争すら「悪」としてしまう、この「思考停止」に他なりません。
戦前と現在の脅威は「まったく異質」
先の大戦は「帝国主義的な国家間競争」であったため、日本自身が領土拡張を志向した側面は否定できません(その背景にあった事情は認識していますが、今回はそこを論点にはしていませんので、敢えて触れません)。しかし現在、日本が直面しているリスクは、他国(中国・北朝鮮・ロシア)からの実質的な「侵略」の脅威です。また、情報・サイバー空間における無血戦争(情報戦・世論操作)といった非対称戦争でもあります。
この二者は完全に質の異なるものです。にも関わらず、旧来の「軍備=戦争=悪」というフレームで全てを捉えようとするのは、有害な「時代錯誤の認知バイアス」であると言わざるを得ません。
決して「歴史修正」ではない「自虐史観からの脱却」
戦後の「平和教育」は、戦争を過去の過ちとして学ぶという点で、一定の価値があることは否定できません。しかしそれが、未来への現実的な「備え」すら否定する装置として機能しているとすれば、むしろその教育こそが「反知性的」な構造を生んでいると言えるでしょう。教育内容よりも“波風を立てないこと”を優先する、空気支配的な教員文化や忖度構造も、その一因です。
今、必要なのは「脱・過去依存のリアリズム」です。自虐史観に染まった過剰な贖罪意識ではなく、歴史を教訓としながらも、現在の脅威に即した防衛思考へと認識の軸をシフトすること。それは決して「軍国主義への回帰」ではなく、「成熟した国家」への前進なのです。
戦争と平和の二項対立ではなく、「自由と防衛」のバランスへ
平和とは、武器を捨てることではなく、「侵略を抑止する意志と能力を持つこと」で初めて成立する。これを「当たり前」として、今こそ正しく認識するべきでしょう。今、私たちが本当に恐れるべきは「自衛すら許さない空気」なのです。
これは「戦争を憎むあまり、国を差し出す」という逆説的な論理であり、これこそが「暴力」であると言えます。その意味で、自虐史観からのパラダイム転換の必要性は、今まさに、2025年の日本における最重要課題のひとつとなっています。
戦後日本における「二項対立の罠」
日本の論壇においては、丸山真男・小田実・司馬遼太郎らのリベラル派と、江藤淳・渡部昇一・中西輝政らの保守派の「知識人史観」が対立して来ました。例えば東京裁判に関する、法的・道義的責任を問う画期的な裁きだったとする小田らと、国際法の手続きを踏まえていない勝者による復讐劇だとする江藤らのそれです。これは「加害の記憶 vs 正当性の回復」の対立、と言い換えることもできるでしょう。
そしてこの対立が、歴史を道徳的に二分してしまったために、構造的分析が困難になってしまったように考えます。そこにおいては、現実的安全保障の議論すら「道徳論」に飲み込まれてしまったのです。国家をめぐる議論が「情念」的なものに支配されてしまうと、理性的議論は困難になってしまいます。※こうした知識人たちはしばしば「リベラル vs 保守」という図式で括られますが、実際には司馬遼太郎のように、近代日本への批判と同時に「精神的な日本」への愛着を抱いた複雑な思想が存在したことも忘れてはなりません。
対立を超えて実現する「脱・過去依存のリアリズム」
今、我々に現実的に求められていることは何でしょうか。過去の議論のどちらかを「正」とすることではないはずです。この論争を「二項対立のままでは終わらせない」ということこそが、実は安倍元総理の掲げた「戦後レジームからの脱却」だったのではないでしょうか。それは決して戦前回帰などではなく、「思考の硬直からの解放」だったのです。
言うなれば「超克」。議論の完全な終結は難しくとも、「超克=乗り越える」ことは可能です。「終わらせる」ことはできなくとも、「別の次元へ引き上げる」。丸山真男の「自己内在的な反省」も、江藤淳の「語られなかった正義の回復」も、それらすべてを踏まえた上で、私たちは今「これからどう生きるか」「国と国民をどう守るか」を議論しなければならない時期が来ているのです。
今現在、我が国に戦争が忍び寄っているとしたら、どの方向から、どのような意図を持ち、どのような手段を用いて来ているのか。そしてどうすればそれを防ぐことができるのか。冷静に「過去」を問いながらも、現実的に「未来」を考える。ここで大事なのは「戦争観」より「未来観」になります。日本社会はそろそろ、「記憶のための政治」から「予測のための政治」へ転換すべき時です。
「超克」に向けた10のアイデア
最後に、戦争観から未来観へ舵を切る、思考停止脱却のアイデアを、主に教育の観点から示しておこうと思います。
① 歴史教育を「対立史観」から「構造史観」へ
戦争を「加害/被害」や「善/悪」で断罪せず、当時の国際秩序・経済構造・帝国主義の連鎖という広い視野から読み解く。
② 「個人」としての自覚を持った戦争理解
国家・民族単位の物語を超えて、家族史・地域史・生活史の中に戦争を見つける。証言・手紙・写真を通じた「パーソナル・ヒストリー」を掘り起こす。
③ 歴史認識ではなく、「レジリエンス」としての戦争論
戦争を「繰り返さない記憶」だけでなく、未来の危機に備える「市民の知」として再定義する(台湾や北欧の民間防衛に学ぶ)。
④ 「歴史対話」の公民館化/常設化
世代・思想を超えて語る場(地域ごとの「記憶の対話室」)。右でも左でもない、「聞く力」を中心とした対話文化の社会実装。
⑤ 教科書の「複数化」と「相対化」の制度化
複数の教科書や資料を同時に読む授業(ドイツの一部等で導入)。「答えを探す」より「問いを持ち続ける力」を育てる歴史教育。
⑥ 「国益と記憶」の接続を明示するリテラシー教育
歴史をただの感情論ではなく、外交・安全保障・サイバー空間の「カード」として扱われている現実を高校段階から教える。
⑦ 知識人論争の「メタ化」と再読
丸山真男・江藤淳らの主張を「どちらが正しいか」ではなく、「なぜこの対立が起きたか」を読み解く教材化。言説史を社会科に統合。
⑧ 若者による「未来史」作りワークショップ
過去を問うのではなく、「100年後に振り返ると今の日本はどう見えるか」という逆時系列的な「仮想歴史執筆」による思考訓練。
⑨ 海外との「戦争観の比較文化論」の導入
アメリカ・ドイツ・中国・韓国などの戦争記憶と語られ方を比較し、「日本だけが特異」という誤認識を解くリベラルアーツ型アプローチ。
⑩ 「戦後論争を学ぶ」こと自体を授業にする
論争の「外から俯瞰する」視点を持つことで、自分の立場を相対化できる市民的思考力を養成。例えば、丸山 vs 江藤、つくる会 vs 歴史学者会議、の資料対比を通じた「立場を越えた読解力」。
以上です。是非皆さんのアイデアもお聞かせください。
BBDF 藤本