白米は悪者だったのか?

かつての「ご飯抜きダイエット」ブームに見る白米脱価値化のメカニズム

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「ご飯抜きダイエット」ブームを思い出す

2000年代後半頃に、異様なまでに流行した「炭水化物抜きダイエット」をご記憶の方(もしくは実践されていた方)は、多いのではないでしょうか?単なる健康・美容ブームとして片づけるには、あれ、ちょっと不自然じゃありませんでした?

確かに一時的なダイエット効果はかなり高かったはずです。人間にとって主要なエネルギー源である糖質を「摂取しない」訳ですから、当然でしょう。しかし、当時私は筋トレにハマっていたにも関わらず、これに大きな違和感を覚え、絶対に実行することはありませんでした。それは以下の理由からです。

  • 糖質は脳や筋肉の主なエネルギー源だから
  • 集中力や思考力の向上には血糖値の安定が不可欠だから
  • 糖質がグリコーゲンとして筋肉や肝臓に蓄えられなくなれば、筋トレのパフォーマンスに影響するから
  • 適量の糖質を摂取しないとプレバイオティクス(腸内フローラ改善)ができなくなるから
  • 糖質摂取後に出るインスリンなくしてセロトニンは生成できない(気分が落ち込んでしまう)から

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そしてやがて実際に、「筋肉量の低下」「リバウンド」「メンタル不調」など、様々な弊害が指摘されるようになったことで、極端な糖質制限ダイエットは下火になって行きました。

この、危険なブームの背景には何があったのでしょうか?コメ価格高騰が問題となっている今、3つの観点から仮説を立ててみます(「陰謀論」として捉えられかねない部分もあるでしょう、何せ「仮説」ですから。)

仮説1:メディアと食品業界の連携によるブーム演出

「炭水化物=太る」という言説がバズり始めたのは2000年代後半以降です。アトキンス式と呼ばれるアメリカの糖質制限理論が翻訳され、そこに日本のメディアが「わかりやすい敵=白米」を設定して広めたのです。

同時に、糖質オフの新商品ラッシュが始まりました。ロカボ(ロー・カーボ)食品、人工甘味料を使ったお菓子、糖質ゼロビール(や発泡酒)…つまり、新たな市場創出のためのプロモーションという側面もあったのかもしれません。「コメの代替市場」創出の必要性を背景に、意図的に仕掛けられたブームだった可能性もあるのです。

ちなみに、アメリカでアトキンス式の実践者は、2003年には9.1%もいました。しかし翌2004年に頭痛や下痢などの副作用が明らかになり(「長期的な安全性は保障できない」と報告されたことをきっかけに)、実践者数は2.1%に急落。アトキンス・ニュートリショナルズ社は破産しています。これ、日本でブームが起こる前の話です。

仮説2:「和食離れ」と「欧米信仰」の象徴

長らく日本人の「主食の王者」だった白米。しかし、戦後の栄養学やグローバル化の影響で、「パン+肉+サラダ」的な欧米式の食文化が“オシャレ”“合理的”とされるようになりました。ローカーボも、まさにこの流れの上にあるように思います。いわば、「白米は時代遅れ」という文化的価値観の刷り込みでもあったのです。

また、食事の簡素化・単品化(プロテインだけ、サラダだけ)が進む中で、「ご飯を炊く」「味噌汁をつくる」といった我が国の家庭内における伝統的な調理文化が否定されていったことともリンクします。

仮説3:政策的陰謀?“コメ不要論”の準備運動?

ここからは少しラディカルな視点になりますが、このような疑念も湧いてしまいます(というか、当時から私が抱いている疑念です)。

コメは日本の農政の根幹ですが、仮に主食でなくなれば、生産調整(減反政策)や農協の力も相対的に縮小されることになります。食の多様化や自由貿易(2016年署名の、TPP~Trans-Pacific Partnership Agreement:環太平洋パートナーシップ協定など)に向けて、「コメの絶対的地位を相対化する必要」があったのかもしれません。

食糧自給率という論点において、「コメを食べない日本人」が増えれば、数字上の“自給率”を下げる口実にもなりますから。「国民が自発的にコメ離れしているから、輸入依存は仕方ない」と言える構図をつくっていたのでは?と見ることができるのです。※あくまで「仮説」です。

一種の“文化戦争”だった可能性

つまり、「炭水化物抜きダイエット」は、

  1. 市場創出(食品業界)

  2. 西洋化の推進(文化・栄養学)

  3. 日本的食文化の切り崩し(政治経済的背景)

が絡み合った、一種の“文化戦争”だった可能性があるのです。※しつこいですが、あくまで「仮説」です。

とにかく、

我々は、メディアやブームに流されるだけでなく、自分で判断し、行動する力を身につけなければなりません。「わかった、糖質を抜こう!」ではなく、「自分の身体に合う糖質量」を、自分で見つけ、摂取する必要があるのです。

また、白米は単なる栄養源ではなく、日本の食・農・文化、そして日々の営みに深く根ざした“生活の軸”でもあります。その価値を「古い」「太る」「不要」と貶めた運動は、表層的には“ダイエット”であっても、深層ではかなり根深いメッセージを孕んでいたように考えています。

BBDF 藤本