1970年前後の日本のニュー・ロックが放つ「熱」に惹かれるようになってから、もう30年近くが経ちます。未完成で混沌としていながらも、「新しい何か」を創造せんとする彼らのパワーはいずれも凄まじく、現代生活においてはなかなか感じることのできないものです。
刹那の爆発としての熱!「ビームで貫通」
そのニュー・ロックを代表するバンドのひとつ、Flower Travellin' Band(内田裕也さん創設)に関連する、貴重な記録音源が発掘されました。
『ビームで貫通』(TOWER RECORDSリンク:大阪万博お祭り広場・夜のイベント『ビームで貫通』 [CD+10inch+CD-R]<スペシャル・エディション>)。
これは、1970年に大阪万博会場内にそびえ立つ太陽の塔前にある「お祭り広場」で敢行された、伝説的な「意味不明コラボ」の様子を記録したものです。実は先日、六本木森美術館で鑑賞した「東京アンダーグラウンド 1960-1970年代―戦後日本文化の転換期」という展覧会で、「ハンパク(反万博)」運動(*)の存在を知ったのですが、この「ビームで貫通」も、その一環として行われた可能性が高いと考えます。(参照リンク:森美術館「東京アンダーグラウンド 1960-1970年代―戦後日本文化の転換期」)
*ハンパク運動:1970年の大阪万博は、戦後日本の「高度経済成長」の象徴的イベントです。政府・企業・科学技術が一体となり「未来」を描いたものでした。テーマは「人類の進歩と調和」。一方、それに反発する若者たちは「調和なんかいらん!もっと本音を、もっと身体を!」という衝動から、反万博運動を繰り広げました。彼らは万博を「国家による未来の植民地化」と捉え、「もうひとつの未来」を模索していました。ちなみに、当時の左翼運動の中でも「全共闘」的なものから脱して、より文化的・創造的な方向(≒アングラ、ヒッピー、共同体志向)へ向かった若者たちも多く、これは「ニュー・レフト」や「文化左翼」などと呼ばれることもあります。
前衛芸術家である吉村益信さんがプロデュースしたこの「ビームで貫通」は、Flower Travellin' Bandが、オートバイ50台(爆音+クラクション)や電子音響、電光掲示板の卑猥なメッセージ、巨大ロボット、そしてビームのようなサーチライトと共演(?)した、あまりにカオスなものでした。当初はシリーズ化を予定していたそうですが、そのあまりに反体制的な状況(太陽の塔を左翼の集団が占拠した、との未確認情報もあります)から、たったの1回のみで打ち切りとなってしまったそうです。
このレコードで聴けるのは、まさに「カオス」以外の何物でもありません。調和はもちろん、秩序も規律もそこには全く存在していません。しかしその「カオス」が、とんでもない「熱」を放っているのです。
当時の若者たちは、自分たちを取り巻く社会構造、つまり国家や資本、大学、マスメディア、核家族制度、科学技術信仰などのすべてに対して違和感を持っていたのだと考えます。彼らは「戦うべきもの=構造」として社会を捉えていたのでしょう。現実への不満を、「敵」として具象化することができたのです。
ここで大事なのは、当時は(この「ビームで貫通」もそうですが)自分の肉体と時間をそのまま投げ出せる「実空間」(リアルな場)があった、ということです。これは、現代におけるSNSの投稿やXでのバズとはまったく異質なものです。行動=全人格の表出であり、しかも他人とぶつかり合う場所でもあったのです。
意見の対立と創造の跳躍!「日本語ロック論争」
ロックの黎明期であった1970年前後の日本において、活発に交わされた、ある議論があります。
「日本人は日本語で歌うロックを確立すべきだ」と考え、日本語の歌詞をロックに乗せるチャレンジを続ける、はっぴぃえんど(細野晴臣、大滝詠一、松本隆、鈴木茂)らと、「ロックはもともと欧米で生まれた音楽であり、英語で歌うべきだ」と主張し、海外進出を視野に入れる内田裕也さん(Flower Travellin' Band)らによる、「日本語ロック論争」。
当時、音楽雑誌「ニューミュージック・マガジン」の座談会などで、活発に意見が交わされています。内田裕也さんは「日本語の歌詞はロックのリズムに乗らない」と批判し、はっぴぃえんどの楽曲に対しても厳しい意見を述べています。対して、はっぴぃえんど側は「音楽は趣味の問題であり、英語でも日本語でも自由に表現すればよい」としていました。
この激しく且つ冷静な論争は、1971年に発表された下記「2枚の伝説的アルバム」によって、一定の決着を迎えることになります。
1. はっぴぃえんど『風街ろまん』
日本語の歌詞をロックのリズム/メロディに乗せることに遂に成功し、日本語ロックの大きな可能性を示しました。
※参考リンク:はっぴぃえんど「風をあつめて」(YouTube)
2. Flower Travellin' Band『SATORI』
カナダ経由で海外進出し、大手Atlanticと契約。シングル・カットした「SATORI Part II」は、現地のシングル・チャートで8位にインしました。
※参考リンク:Flower Travellin' Band「SATORI Part II」(YouTube)
つまり彼らはいずれも、意見を異にする者との議論によって自らの思想を確信に変えて行き、結果、それぞれの主張を見事なまでに体現したのです。
現在「日本語のロック」は当たり前に存在していますが、その背景には先人によるこうした「熱」のこもった議論があったのです。
思想の真剣勝負と相互尊重!「三島vs東大全共闘」
70年前後と言えば、「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」という映像作品も思い出されます。(「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」オフィシャルサイト)
これは、1969年5月に東大駒場キャンパスで行われた、東大全共闘1000人と三島由紀夫1人による討論会の様子を収めた作品で、暴力革命を目指す東大全共闘の若者たちが「舞台上で三島を論破して切腹させる!」と意気込み待ち受ける敵地に、単身乗り込んで行く三島の姿を捉えた、強烈なドキュメンタリーです。
異様な雰囲気(敵意、あるいは殺意)の中始まった討論で、政治的・思想的に真逆の立場にありながらも、両者は「言葉」「論理」による真剣勝負を真正面から繰り広げて行きます。まさに「思想の衝突」というべき激論!です。
最終的に三島は彼らに「日本の知識人のうぬぼれを叩き割った功績は認める」と述べ、更に「わたくしは、諸君の“熱量”は信じます。他のものは一切信じないとしても、分かっていただきたい」と伝えるに至ります。
「論破の場」となるはずであったこの場において、対立・敵対する思想をぶつけ合いながらも、やがて「共通する何か」「互いへの敬意」をみつけていく過程には、思わず心が震えます。
対比:「熱と対話」の70年代/「冷笑と分断」の現代
70年前後の日本には、思想の違いがあれども正面からぶつかり合い、言葉によって互いを理解しようとする努力があったのです。「日本語ロック」と「英語ロック」の論争然り、三島由紀夫と東大全共闘の討論会然り。政治の場でも異なる立場の人々が真剣に議論を交わしていました。「自分の信念を持ちながらも、異なる立場の意見に耳を傾ける」その姿勢が、今の社会では希少になりつつあるように見えて仕方ありません。
エコーチェンバーやフィルターバブルが広がることで、現代の人々は自身の信じたい情報だけを選び取り、異なる視点を敬遠する傾向が強まっています。その結果、対話ではなく断絶が生まれ、本来ならば議論によって理解し合えたかもしれない関係が失われています。これこそが、まさに現代の課題と言えるのではないでしょうか。
議論とは、相手を打ち負かすものではなく、互いの考えを深めていくもののはずです。決して「はい、論破♪」で終わらせるべきものではない。議論の過程で生まれる緊張感や知的な刺激こそが、人間にとって必要なものだと考えます。
70年代の日本には、敗戦から立ち直り、経済成長しながらも「何かがおかしい」という感覚がありました。つまり、“完成されていない世界”への反発と、創造の余地があり、それが「熱」に転化していたのだと考えます。逆に言うと、今の日本は「完成したが壊れかけた」状態であり、余白がないために「熱量」が感じられないのではないでしょうか。
今の社会には「わかりやすい敵」がいません。怒りの矛先が定まらないがゆえに「熱」も拡散してしまうのでしょう。敵が「空気」や「構造的無関心」である限り、殴ることすらできません(パンチがすり抜ける)から。
そして現代では、自ら行動する代わりに「いいねを押す」「参加した気になる」「クラファンに投げ銭する」など、代替行動のインフレが起きています。これにより“行動欲”はガス抜きされ、本当の熱量に火がつきにくいように感じます。
そのようにして、現代人は、すべてを相対化・冷笑し、「やっても無駄だ」と決めつけることで自分を守っているように見えます。このある意味でメタ化しすぎた視点が、「生の衝動=熱量」を抑え込んでいるのではないでしょうか。「自らバイクで会場に乗り込む」のではなく、「バイクで乗り込むやつをスマホで撮ってXでバズを狙う」現代に、本当の意味での「熱量」は存在しえないのかもしれません。
そのようなことから、私は70年前後の日本に存在した「熱」に、(思想の左右関係なく)心からの羨望と憧れを抱いてしまうのです。未完成であることを恐れず、自らもがき、行動し、未来を変えんとした、その姿勢に。
「熱」と「対話」は分かち難く、「更新」されてこそ未来に灯る
熱と対話。このふたつは、本来、分かち難いものです。「熱」は言葉になる前の衝動であり、「対話」はその衝動に意味と持続性を与える行為です。どちらかだけでは、人の心も社会も動かすことはできません。熱だけでは孤立し、逆に対話だけでは冷却されてしまいます。
私たちは今、「言葉なき熱」を取り戻すと同時に、その熱を他者と交わし更新していく「言葉としての対話」もまた必要としているはずです。
あと、私が憧れてしまう当時の「熱」は、「時代の特異点に爆発した一瞬の火花」だったから、という気がしています。例えば形式化・ファッション化されたパンクに興味はありませんし、教義が信仰から儀式に変わってしまった宗教に対しても同様です。「熱」が歳月を経て“ルーチン化”されてしまった瞬間に、私の中では逆に侮蔑の対象にすらなってしまうのです。例えば、文化祭の打ち上げで泣きながら喜び合った青春を、50歳になっても毎年同じ会場で同じテンションでやっていたらどうでしょうか?かつて本物だったものが形式化し、他者を支配しようとする構造に変化した瞬間、もうそこに私は違和感しか覚えません。
若さの熱狂は本来「刹那的で一回性のあるもの」なのです。それが何十年も同じスタイルで繰り返されると、それは“信念”よりも“執着”や“独善”に見えてしまいます。
「本物の熱とは何か」。更新されなければ腐っていく「熱」を、次なる創造へと昇華させるためにこそ、「対話」が必要なのかもしれません。それらが絶えず循環する社会だけが、次の未来を照らすことができるのだと、私は考えます。
私たちは今、何をすべきか?現代に「熱」を取り戻す行動指針
「熱」と「対話」が分断され、共に弱まりつつある現代社会において、私たちはどうすれば、その両方を取り戻せるのでしょうか。かつての若者たちがそうであったように、誰かが用意した安全な舞台ではなく、自らの肉体と時間を投げ出しながら、自分の言葉と行動で世界と向き合う。そのような在り方を、今一度、探り直す必要があるように考えます。
以下に、現代に「熱」を呼び戻すための、ささやかで具体的な行動指針を挙げてみたいと思います。
1. リアルな「場」を取り戻す
SNSやリモート環境が進化した今だからこそ、「物理的にそこにいること」の意味が再び問われています。誰かと空間を共有し、沈黙や間の気まずささえ交えながら語り合う“リアルな場”を持つこと。そこには編集もバズもありませんが、言葉の重みと、相手のまなざしに触れる経験があります。「熱」は、触れ合う身体の間にこそ生まれます。だからまずは、誰かと“実際に会って語る場”をつくってみることが重要だと考えます。
2. 「異なる意見」と語る勇気を持つ
同じ考えの者とのみ集まるのは快適です。しかし、それでは思考は深まりません。意見が異なる人と語り合うこと。否定ではなく、理解のための対話を試みること。それは時に不快で、時に自らの無知や偏見を思い知らされる行為でもあるでしょうが、対話なしに社会は更新されません。対話とは、他者と衝突することではなく、自己を鍛え直すことだと考えます。
3. 「未完成」を引き受けて生きる
70年代の若者たちは、完成されていない社会に対して声を上げ、未完成なまま走り出しました。今の私たちは、完璧であろうとしすぎるあまり、失敗や迷走を避けがちです。しかし、「熱」は、未完成のなかからしか生まれない気がします。曖昧なままで動き出してみる。もがきながら語ってみる。整っていないものにこそ、未来を開く力が宿るのではないでしょうか。
4. 刹那の火花を見逃さず、自分の中に火を点ける
誰かの衝動的な行動、偶然耳にした対話、ふと感じた違和感。そこに「火種」があるはずです。それに反応し、自分なりの形で何かを表現する勇気を持つこと。文章でも、音でも、行動でも良いでしょう。重要なのは、セレンディピティを逃さないことです。「ああ、なんか感じた」だけで終わらせず、「だから、こう動いてみた」まで踏み出すのです。「熱」は、反応ではなく、応答することなのだと考えます。
5. 「古い熱」に学びながら、「新しい熱」を生み直す
私たちは、70年代の「火花」をそのままコピーすることはできません。当時とは社会構造も、テクノロジーも、価値観も違います。しかし、その根底にあった「不安定な未来を変えようとする衝動」は、今の私たちの中にもあるはずです。だからこそ、ただ懐かしむのではなく、今の言葉で、今の行動で、新しい“熱のかたち”を生み出す必要があります。
おわりに
「熱」と「対話」。このふたつが、絶えず更新されながら循環する社会だけが未来を照らすのだと、私は信じています。
それは大きな声で叫ぶことでも、完璧な理屈で「はい、論破♪」することでもありません。日々生活する中での「違和感」を見逃さず、誰かと語り、ぶつかり、共に考え、行動していく。その積み重ねが、新たな時代の「火種」となるはずです。
あなたの中の火は、今どこで燻っているでしょうか。
そして、それを誰と交わしたいと思うでしょうか。
その問いから、すべてが始まるのだと考えます。
BBDF 藤本