恥もなき「失われた30年」の主犯たち

「線形社会の亡霊」と「新時代のリングに立つ若者」の間で。

· Insights,Social Issues

「失われた30年」という言葉がある。この空虚な響きの裏側で、その30年間を丸々自らのキャリアとして消費し尽くした世代がいる。今、50代後半から60代を迎えている層だ。

はっきり言おう。この国の停滞の責任は、彼らの「無自覚」にある。

「右肩上がり」という名のドーピング

彼らは、たまたま日本が右肩上がりだった時代のシステムに乗っかっていただけに過ぎない。努力が正当に報われたわけでもなければ、自ら画期的な何かを生み出したわけでもない。時代という上昇気流が、彼らを実力以上に押し上げていただけだ。

バブルの熱狂に踊り、私利私欲のままに豊かさを貪り、家、車、高級時計……目に見える物欲のみに溺れた結果、彼らが失ったのは「未来への想像力」だった。「今だけ、金だけ、自分だけ」という精神性は、この世代から始まったのだ。

彼らは当然ながら政治にも興味を失い、選挙にも行かず、日曜日はゴルフに明け暮れた。そのツケが今の「シルバー民主主義」であり、次世代の希望を食いつぶす「年金という名の吸い上げシステム」である。驚くべきことに、彼らにはその加害性に対する「反省」の欠片も、かつての日本人が持っていた「恥」の概念すら見当たらない。

BANIの世界で露呈した「何もできなさ」

かつての線形(リニア)な社会では、過去の成功体験という「経路依存」だけで生きていくことができた。しかし、世界は一変した。現代はBANI——脆く、不安で、非線形で、理解不能な時代だ。

かつての「正解」が、翌日には「ゴミ」に変わるこのリングの上で、彼らは呆然と立ち尽くしている。現実を直視することもできず、筋肉を鍛えすぎて柔軟性を失った老兵のように、新しいアプリをインストールすることもできず、ただ既得権益という古い防具にしがみついている。

「自分の実力だと思い込んでいた幸運」のメッキが剥がれ落ちた今、彼らが露呈しているのは、圧倒的な「当事者意識の欠如」と「知恵の枯渇」である。

若き表現者たちへ:古いリングを降りて、自由に舞え

さて、この惨状を目の当たりにしている若い世代に伝えたい。反省もしない、責任も取らない世代に対して、もはや怒る必要すらないのかもしれない。なぜなら、彼らが握りしめているルールは、もうすぐこの世界のどこにも通用しなくなるからだ。

彼らが「こうあるべきだ」と説くキャリア論も、成功法則も、すべては滅びゆく時代の遺物にすぎない。そんな重荷を背負わされる必要も、筋合いもない。

  • 経路依存から脱却せよ
    とにかく前例を疑うようにしよう。彼らが作ったシステムは、もはやバグだらけの欠陥品だ。
  • 自分の哲学を持て
    「今だけ」の享楽ではなく、この混沌とした時代を生き抜くための独自の「リングの知恵」を磨くようにしよう。
  • 徹底的に自由に、したたかに
    彼らの持つリソース(金、人脈、インフラ)は、もはや「資源」としてハックする対象でしかない。徹底的に見下し、利用しよう。

この現代の「知まみれのリング」で、最後に笑うのは誰なのか。過去という便器にこびりついた糞のような亡霊たちに引導を渡し、全く新しい物語を書き換えるのは、古いシステムに乗っかることを拒否した、あなたたち自身の自由な意志に違いない。

人間×AI共進化ストラテジスト/HRアーキテクト
藤本英樹(BBDF)