9割の人が後悔しながら死んでいく現実

他人のプレイリストを生きるのは、もうやめよう。

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スウェーデンのエピック・ドゥームメタルバンド、MEMENTO MORIの1stアルバム『Rhymes of Lunacy』(93年)が持つ圧倒的ヘヴィネスに魅了されて、早30年の私。

ふと「そう言えば、Memento Moriってどういう意味だっけ?」と調べてみると、「死(いつか自分が死ぬこと)を忘れるな」というラテン語であることがわかった。

古代ローマでは「成功や勝利に溺れるな(明日はどうなるかわからない)」という戒めとして使われ、現代では主に「今を大事に生きよう」というポジティブなメッセージとして受け取られているようだ。

■ 「死を忘れるな」

得てして人は、自らが有限な存在であることを忘れがちだ。特に、社会システムとして「死」を不可視化し続けてきた日本社会に生きる私たちにとって、今やそれ(死)はなんだかとても遠い存在になってしまっている。

死に直面する機会が徹底的に排除されたことで、自らの有限性を実感できなくなり、結果として決断の先送りや、日々を本気で生きる態度の欠如に直結しているのではないだろうか。

今こそ「Memento Mori」という言葉を、深く噛み締める必要があるように感じる。

■ 「死」を忘れると、どうなる?

「9割の人が、後悔しながら死んでいく」

多くの自己啓発やモチベーション向上の文脈で引用される言葉だ。確かにそうかもしれない。

オーストラリアの緩和ケア看護師だったブロニー・ウェアは、その著書『死ぬ瞬間の5つの後悔』で、人が最期に抱く「後悔」に見られる明確な共通点を次の5つにまとめている。

  1. 自分に正直な人生を生きればよかった(他人の期待に応える人生ではなく)
  2. あんなに一生懸命働かなくてもよかった(仕事に時間を割きすぎた)
  3. 自分を表現する勇気を持てばよかった
  4. 友人たちと連絡を取り続ければよかった
  5. 自分をもっと幸せにしてあげればよかった

このような後悔の念を口にしながら、人はその死を迎えている――これが実際の終末期における「後悔」のリアルだ。

また、後悔の心理学における第一人者である、アメリカ・コーネル大学のトーマス・ギロビッチ教授が行った研究も有名だ。彼が90年代の研究から見出した重要な事実は、「時間」によって後悔の質が変わる、というものだ(時間経過の法則)。

ギロビッチは、人が抱く後悔を以下の2つに分類し、時間の経過とともにその感じ方がどう変化するかを調査した。

○ 行動した後悔(Errors of Commission)
やってしまって失敗したこと。例えば、余計な一言を言った、あるいは無駄な買い物をした、など。

○行動しなかった後悔(Errors of Omission)
やらなかったこと。例えば、あのとき好きな人に告白しなかった、留学に行かなかった、など。

その結果、短期的には「行動した後悔」の方が大きいが、長期的には「行動しなかった後悔」が圧倒的に大きく、そして長く残り続けることが判明した。

■ なぜ「やらなかった後悔」は消えないのか?

ギロビッチは、その心理的メカニズムを以下のように分析している。

① 人間には「心理的免疫システム」がある
私たちは何かをやって失敗したとき、無意識に言い訳を探したり、「良い経験になった」と解釈を変えたり、あるいは謝罪して関係を修復したりと、心理的に決着をつけようとする(心の防衛反応)。しかし、「やらなかったこと」に対しては、そもそも結果が存在しないため、このセルフケア(心の免疫)が働かない。結果として、脳内で「もしあのとき動いていたら、今頃どうなっていただろう……」という無限ループ(反実仮想)が発生し、いつまでも未解決のまま心に残り続けてしまうのだ。

② 「義務」よりも「理想」を追わなかった後悔が残る
2018年のギロビッチらによる共同研究では、人間の「自己イメージ」と後悔の関連性が調べられている。彼らは自分自身を以下の3つに分けて考えた。

  1. 現実の自分(Actual self)
  2. 義務としての自分(Ought self): 義務や責任、他者からの期待に応える自分
  3. 理想としての自分(Ideal self): 自分の夢、希望、ありたい姿

調査の結果、人々が抱える最も根深い後悔の約72%は、「義務(〜すべきだったのにしなかった)」ではなく、「理想(自分の夢や目標に挑戦しなかった)」に関するものだった。義務を果たせなかった後悔は、謝罪や穴埋めで解決しやすいのに対し、理想を追わなかった後悔には明確な「締め切り」がないため、生涯にわたって引きずりやすいのだ。

「やらなかったことは、生涯にわたって未解決の宿題のように心に残り続ける」――ギロビッチの言葉が胸に深く突き刺さる人は、決して少なくないはずだ。

■ なぜ、それでも「後悔する人生」を送ってしまうのか

このように後悔のメカニズムが解明されているにもかかわらず、なぜ人はやはり「義務(Ought self)」を優先し、「理想(Ideal self)」を後回しにしてしまうのか。そしてその傾向は、特に日本人において高い気がしてしまうのは、なぜだろうか。

ギロビッチによると、人間が理想よりも義務の処理を優先してしまうのには、主に3つのシステム上の原因がある。

① 義務には「即時性と明確なルール」があるから
「締め切りに間に合わせる」「約束を守る」「税金を払う」といった義務には、具体的なルールと即時性(今やらないとすぐに困る)がある。一方、理想(起業する、語学を学ぶ、本当にやりたい創作を始めるなど)には明確な締め切りがなく、達成の基準も曖昧であるため、脳は「いつでもできることは、後回しにする」という認知の癖(先延ばし)を発揮し、目の前の「今すぐやらなければ実害が出る義務」をどうしても優先してしまう。

② 義務を果たせないと「すぐに叱責やペナルティ」が伴うから
義務に背くと、他者からの信頼を失ったり、社会的なペナルティを受けたりという痛み(恐怖)がすぐに発生する。しかし、自分の理想に挑戦しなくても、誰からも怒られない。私たちは「他者からの怒りや落胆を避ける(不快の回避)」ことを優先するよう脳の生存本能がプログラミングされているため、自ずと「義務を果たすこと」で安心感を得ようとしてしまう。

③ 義務への失敗は「解決(クローズ)」しやすいから
ギロビッチは、「義務を果たせなかった後悔は、すぐに謝罪や穴埋めなどの行動を起こして処理されやすいため、心の中で“解決済み”になりやすい」と指摘している。一方で、理想を追わなかった後悔は、行動を起こさなかったがゆえに「解決のしようがない」ため、いつまでも未解決のバックグラウンドプロセスのように脳の裏側で起動し続け、人生の最期に大きな後悔として浮上する。

「日本人は特に義務を優先しがち」という感覚は、おそらく間違いではない。ハワイ大学のヘイゼル・ローズ・マーカス教授や京都大学の北山温教授らの研究によると、欧米と日本(東アジア)では「自分」という概念の捉え方が根本的に異なる。

欧米的な「独立型」では、自分は「他者とは切り離された、個人の独自の欲求や目標(理想)を持つ存在」と定義される。これに対し、日本的な「協調型」では、自分とは「社会的な役割、関係性、周囲との調和(義務)のなかに存在するパーツ」として定義される。

つまり、日本人にとって「役割や義務(親として、社員として、社会人として)を果たすこと」は、単なるタスクではなく、「自分のアイデンティティそのもの」となっているのだ。義務を放棄することは、自らの存在価値を揺るがすほどの恐怖を伴うため、欧米人以上に「義務(Ought)」の優先順位が跳ね上がる。

また、日本社会には、法律や明確なルール以上に「世間(他者の目)」という強力な「見えない義務」が存在する。協調的自己の強い文化では、「自分の内なる理想を追い求めること」よりも「周囲の期待や役割に適応し、和を乱さないこと」が圧倒的な美徳とされる。この環境下では、理想を語りチャレンジすることは「スタンドプレー」や「わがまま」と捉えられやすく、心理的なコスト(同調圧力による摩擦)が非常に高くなる。

そう考えると、私たちがわかっているのに義務を優先してしまい、その結果として最期に後悔する人生を送ってしまうのは、単なる個人の意志の弱さではない。「脳の認知システム」と「育ってきた文化的背景」がダブルで義務優先を要求してくるからだ。

それゆえ、自分の意志の力だけで「理想を追おう!」とするのは、非常に骨が折れる作業となる。

■ AIという、「後悔のシステム」回避のサポーター

だが、ここで絶望する必要などまったくない。「脳のシステム」と「日本の文化的背景」が義務を強要してくるのなら、私たちは意志の力で戦うのではなく、もっと賢く、もっとスマートにそのシステムの手をすり抜ければ良い。

そう、「戦略的能天気」にいこうではないか。

生真面目に「義務か、理想か」の二者択一で悩む必要はない。社会の義務や他者との調和を100%完璧にこなそうとするから息が詰まるのだ。「たまには、やりたいことを最優先する」という確信犯的なわがままを、自分の人生にシステムとして組み込んでしまう。世間の同調圧力や「すべき」というノイズに対しては、「まあ、なんとかなるでしょ」と戦略的にスルーする図太さを持つ。この軽やかな能天気さこそが、私たちをがんじがらめにする文化的背景に対する、最大にして最高の防御策になる。

そして、この「戦略的能天気」を単なる絵空事や無責任なドロップアウト、あるいは他者への義務の押し付けに終わらせず、リアルな現実解にしてくれる強力な相棒が、今私たちの目の前にある。それこそが、加速度的に進化を遂げる「AI」だ。

私たちが「理想」を後回しにしてしまう最大の理由は、目の前の「義務」に時間とエネルギーのすべてを奪われてしまうからだった。ならば、その義務をAIに徹底的に代替させればいい。日々の業務や雑務、面倒な手続きといった「やらねばならないこと(義務)」は、AIを使い倒すことでこれまでの何倍ものスピードで片付けることができる。

さらに、AIは私たちの「やりたいこと(理想)」のハードルをも劇的に下げてくれる存在だ。やりたかった創作、起業のアイデア、新しいスキルの習得――かつてなら「専門知識がないから」「時間がないから」と諦めていたことのすべてを、AIは最高の伴走者として、今すぐカタチにするサポートをしてくれる。

AIによって義務をスマートに最小化し、空いたスペースで自分の理想を最優先でカタチにする。これこそが、現代に生きる私たちが手に入れた、最強の「人生のサポーター」なのだ。

実は、偉そうに語っている私自身、これまでの人生で「やらなかったことに対する後悔」はほとんどなかったりする。

もちろん後悔がゼロなわけではない。「あの時にあんなことを言わなければ良かった」「無謀な挑戦をしたせいで大失敗した」という、やったことに対する後悔(行動した後悔)ならいくらでもある。それらの苦い記憶は、今でも思い出すたびに胸がチクチクと痛む。決して綺麗さっぱり消えてなくなるわけではない。

だが、私はその不格好な「やった後悔」たちを、愛おしい勲章だと思っている。なぜなら、それらは私が他人の顔色を窺い、誰かに決められた安全な道を歩く代わりに、自分の意志で打席に立ち、下手くそでも思いきりバットを振り回した動かぬ証拠だからだ。

ギロビッチが指摘するように、人間には「心の免疫システム」がある。自分で行動して傷つき、恥をかき、時に人を傷つけてしまった痛みは、私たちの免疫システムが時間をかけて「味わい深い経験」や「他者への確かな優しさ」へと、ちゃんと昇華(クローズ)させてくれるのだ。

だからこそ、私の心には、霧のように消えない「あのとき動いていれば……」という暗い未練(未解決の後悔)は一滴も残っていない。

いや、流石に一滴くらいはあるかもしれないが、それでも私は、死を迎えるときに後悔する「9割」ではなく、自分の足で人生のリングに立ち続けた「1割」の側として死んでいけると、自分で確信している。

■ 「他人のプレイリストを生きるのは、もうやめよう」

私たちは、生まれ落ちた瞬間から、親や学校、会社、そして「世間」という名の巨大なアルゴリズムが勝手に作成した、お行儀の良い「再生リスト(プレイリスト)」を渡されて生きている。

「この年齢になったらこの曲(就職)」
「次はあの曲(結婚)」
「その次はあの曲(マイホーム)」

他人が選曲したその安全で退屈なBGMを、ただなんとなく順番に再生し続けるだけの人生。

義務を果たすことだけに最適化されたそのプレイリストの終着点に待っているのが、あの「死ぬ瞬間の5つの後悔」なのだとしたら、そんなものは今すぐ一時停止ボタンを押して、ゴミ箱に放り込んでしまうべきだ。

他人のプレイリストを生きるのは、もうやめよう。

これが、7月21日に発売される新著のキー・メッセージだ。調子っ外れの不協和音だっていい。誰かが眉をひそめる理解不能な協奏曲だって構わない。これからの人間は、自分が本当に胸を熱くする曲だけを詰め込んだ、自分だけのオリジナルなトラックリストを、大音量で鳴らしながら歩いていけばいいのだ。

いつか訪れる最期の瞬間に、「後悔なし!」と言い切ることのできる人生を送るために。

藤本英樹(BBDF)