1987年の映画『ゆきゆきて、神軍』(原一男監督)がYouTubeで全編無料公開され、話題を呼んでいます。
戦争で仲間を上官に処刑された神戸のバッテリー商にしてアナーキスト・奥崎謙三が、当時の上官を訪ねまわる姿を追った、過激なドキュメンタリー。
私がこの映画を最初に観たのは大学1年の夏、レンタルビデオでした。その後、劇場でリバイバル上映されるたびに足を運び、DVDも購入し、何度も観ている作品です(なぜかTシャツも持っています。着たことは一度もないですが笑)。
■ はじめに:私の「複雑な気持ち」について
まず明らかにしておきたいのは、奥崎謙三という男と私は思想的にはまったく逆の立場にあるということです。彼の言動は決して許容できるものではなく、到底擁護できるものでもありません。しかしそれゆえに、存在論的に無視できないというか、どこかで一目置いてしまい、四半世紀以上にわたってその影を追い続けてしまっています。この「複雑な気持ち」を、今のタイミングで言語化しておきたいと思います。
■ 奥崎という男:その思想の源泉(原体験)
不動産業者殺害事件(56年)、昭和天皇パチンコ狙撃事件(69年)、皇室ポルノビラ事件(74年)など、過激な犯行により度々逮捕・服役している元陸軍兵士、奥崎謙三。神戸のバッテリー商にしてアナーキストです。
彼の原体験には、極限的な「戦争の記憶」があります。ニューギニア戦線で約1,200名の部隊のうち6名しか生き残らないという地獄を経験し(残りの戦争期間はオーストラリアで捕虜として過ごした)、精神的にも肉体的にも破綻寸前に追い込まれました。
彼にとって戦争は、「国家が兵士を捨て駒にしたシステム」でした。大日本帝国憲法では天皇が軍の統帥権を持つ唯一の存在であり、奥崎は「兵士が餓死し、虐殺され、見捨てられた責任は最終的には天皇にある」と考えました。そして復員後、一貫して天皇を攻撃対象とした街宣活動を開始し、数々の犯行を重ねて行きます。
彼の行為は倫理的に擁護できません。しかし、その論理だけは一貫しています。
映画の冒頭にも印象的なシーンがありますが、奥崎は戦友の慰霊を生涯続けた男です。ただしその慰霊は、「仲間の死の真相を暴くこと」=「責任者を告発すること」と不可分でした。
■ 『ゆきゆきて、神軍』の衝撃(ネタバレあり)
映画撮影時、奥崎は既に還暦を超えています。「戦病死」とされた仲間が、実は部隊の上官により処刑されていたことを戦後になって知った彼は、亡くなった兵士の遺族と共に真相を追います。生還した元兵士たちを訪ね、時に凄まじい暴力を振るいながら証言を引き出していきます。そして遂に、ある上官が処刑命令を出していたことを突き止めます。
映画はここで終わりますが、その後奥崎は元中隊長宅でその長男に拳銃を発砲し、殺人未遂で逮捕。懲役12年の刑に処されています。
この映画で彼が元上官を暴力で追及する姿は、慰霊と告発が同じ衝動から生まれていることを示しています。
■ 奥崎に見る「ウソのなさ」と「衝動の純度」
奥崎の行動原理は、「自分が戦場で見たものを、絶対に嘘として封じ込めさせない」という一点に尽きます。
社会、国家、法律、さらには「常識」という、人間が平穏に生きるために構築したすべてのフィクション(制度)を完全に無視し、ニューギニア戦線での極限状態と復員後の絶望という「個人的な絶対真理」だけで動いた人物。
彼が他の過激派や政治運動家と一線を画すのは、「借り物の言葉で喋っていない」点です。イデオロギーやネットの言説、他人が作ったフレームワークに自分を嵌め込むのではなく、内面から湧き上がる衝動と独自のロジック(彼にとっての「天」や「神」※)だけで行動しています。
当然、そこにはまったく「ウソ」が存在しない。
この「ウソのなさ」は、裏を返せば「他者との対話が1ミリも成立しない」という狂気でもあります。記号化された言葉や空虚な正義感が溢れる現代において、圧倒的なまでの「個の強度」として迫ってきます。だからこそ、私は彼を単なる「危険人物」として片付けることができず、目が離せなくなるのです。
倫理的には破綻していましたが、「衝動の純度」だけは、誰にも真似できないレベルで高かった。
※奥崎にとって「天」は自分の原体験を正当化するための“絶対者”であり、宗教ではなく“自己の延長”でした。
■ なぜ私は奥崎の影を追ってしまうのか
多くの人は奥崎謙三を「狂人」「危険人物」「反天皇制活動家」といったラベルで片付けるでしょう。なのになぜ私は(思想をまったく異にしながらも)彼に「複雑な気持ち」を抱いてしまうのでしょうか。
私が彼に一目置く最大の理由は、彼が「圧倒的な当事者(ナラティブの所有者)」だからです。戦場という地獄を生き残り、そこで精神を決定的に破壊されたという強烈な原体験。彼の行動は、その痛切なナラティブから直接汲み上げられています。
一方、ネットのデマに踊らされる人々や、根拠のない愛国心を振りかざすような人々の多くには「自らの体験」がありません。他人が作った安易な物語(煽り)を消費し、さも自分の思想であるかのように模倣しているに過ぎません。
ビジネスでも表現でも、「自分の頭で考え、自分のリスクで行動する者」と「他人の威を借る者」の差は歴然としています。私が奥崎に抱く敬意は、彼の思想への賛同ではなく、その圧倒的な当事者性に対する「実存への敬意」です。
奥崎謙三という人間は、おそらく「思想家」ではありません。彼はただ「戦争体験に破壊された人間」です。そしてその傷を、社会常識や礼儀や世間体で覆い隠そうとはしなかった。
普通の人間は、本音と建前を使い分け、空気を読み、社会に適応し、自分自身にウソをつきます。しかし奥崎はそれを一切やらなかった。その結果として、彼は社会と衝突し続けた。利害関係など、完全に超越しています。彼にとって告発の旅は、自らの存在意義そのものであり、生きることそのものでした。
その手段(暴力や脅迫)は決して容認できません。しかし、システムに飼い慣らされ、空気を読むことを強いられる現代人にとって、自らの衝動だけで世界と対峙する彼の姿は、一種の「解放のモニュメント」のように映る瞬間があるのです。
ちなみに私自身、外国人に首の骨を折られたことがありますし、家から数歩のところにはモスクがあり、異文化の圧力を日常的に感じています。それでも私が「外国人排斥」を簡単に唱えることはありません。むしろ、体験があるからこそ、体験のない排斥者より冷静でいられると感じています。
原体験は、衝動ではなく思考を深めるためにこそ使われるべきです。そうした意味で、私は奥崎の「衝動の純度」を理解しつつ、自分は「思考の純度」で世界と対峙したいと考えています。
■ 出所後の奥崎と、私たちが得るべき教訓
晩年(出所後)の奥崎は、それはもう酷いものでした(『神様の愛い奴』で確認できます)。『ゆきゆきて~』の頃の奥崎には戦友の慰霊(戦争責任の追及)という明確な「目的」がありましたが、それを失った彼に残ったのは「衝動」だけでした。その結果、暴力と恫喝が先走り、理不尽な要求が増大し、正義という名のエゴが自己肥大化し、単なる横暴な老人に成り下がってしまいました。かつての「反権力」が、ただの「権力欲」に変質するという、誰も想像し得なかった状況です。
奥崎謙三は英雄でもなければ、もちろん模範的人物でもありません。しかし彼は少なくとも最後まで「自分の物語を生きた」稀有な存在でした。自分の人生を一切他人に演奏させなかったのです。
思想には共感できずとも、そこに敬意を払わざるを得ない――。多分それが、私の「複雑な気持ち」の正体です。
人は時々、善人よりも、そういう人間に強く惹かれてしまうのだと思います。そして、単純な善悪の二項対立で物事が成立する時代は、とっくに終わっていることを私たちは認識するべきでしょう。
奥崎健三は、決して「いいね」を押してはいけない存在です。しかし、彼がスクリーンの中で放つ歪んだ輝きは、「お前は自分の言葉で語っているか?」「お前は自分のリスクで生きているか?」という、現代を生きる私たちへの痛烈な問いかけ――実存を試す刃として機能しているように思うのです。
藤本英樹(BBDF)

