「昭和100年幸福度年表」が教えてくれた、“未来のラフスケッチ”の必要性

価値観の変遷と、“描かれなかった2040年代”をめぐって

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今日、たまたま入った巣鴨のカフェで、興味深い展示をやっていました。(参照リンク:食べログ

「昭和100年特別企画 これまでのしあわせ これからのしあわせ展」

そう、今年って「昭和で言うと100年」なんですよね……。

100年間の日本人の幸福度推移や価値観の変化をグラフ化した「昭和100年幸福度年表」が、大変勉強になりました。1925年(昭和元年)から2025年まで、さらに未来予測として2045年までの「その時代に生きていたら、どれくらい幸せだったと感じそうか(0~10点)」、そしてその時代に日本人が重視していた(あるいは重視するであろう)価値観を、全国2,800名の主観評価で可視化したもの。過去・現在・未来にわたる“幸福”と“価値”のダイナミクスが一望できる内容でした。

「ん?これは……」と思ってメロンソーダを飲みながらスマホ検索してみると、ここは博報堂の100年生活者研究所が運営しているカフェとのこと。そんなことあるんですね!(参照リンク:100年生活者研究所

展示されていた「昭和100年幸福度年表」は、博報堂のプレスリリースでも確認することができました。(2025年4月22日 博報堂100年生活者研究所「昭和100年間の幸福度と価値観に関する調査」

「推定幸福度の推移」ポイント

1.最も幸福度が高かったのは「1980年代」(6.2点)
経済的繁栄と物質的充足が、幸福感と強く結びついていた時代と読み取れます。

2.最も低かったのは「1940年代」(3.97点)
社会不安・物資不足・死別などが重なり、太平洋戦争の影響が如実に表れました。

3.2000年代以降は「幸福度の長期停滞」
バブル崩壊後の90年代後半から下降トレンドに転じ、特に2020年代以降、パンデミックや経済不安、社会の複雑化などが影響していると推察されます。

4.2040年代にかけても「回復の兆しは薄い」
高齢化、格差、環境問題、国際不安などが要因として意識され、人々の将来に対する希望は乏しいようです。

「重視点(価値観)の変遷」ポイント

1.昭和初期〜高度経済成長期(1925〜1970年代)
重視されていたのは「家族」「勤勉さ」「貧しさを脱すること」など。特に戦後は「生活を豊かにする」ことが幸福の中心。集団主義的な価値観が強く、「社会に役立つ人間であること」が重要とされていたことがわかります。

2.バブル期~平成初期(1980〜1990年代)
「経済的安定」や「地位・成功」が幸福感の基盤となり、“物質的豊かさ”が人生の価値を測る指標として際立っていました。「マイホーム」「車」など、象徴的所有物が幸福の象徴となった時代です。

3.平成後期(2000〜2010年代)
バブル崩壊後、「経済的成功」の神話が崩れ、「心の豊かさ」や「趣味」「人間関係の質」などに価値がシフト。ネット社会の台頭により、個人の価値観が多様化し始めた時代です。

4.令和以降(2020年代〜)
「多様性の尊重」「自分らしさ」「心の安定」が重視される傾向に。パンデミックやAI時代の到来によって、「働き方の柔軟性」「つながりの質」「社会課題への関心」が浮上してきたと読み取れます。

5.未来予測(2040年代)
グラフ上では、現在(2020年代)の価値観がそのままスライドして継続されているように見えます。これは、未来に対する想像力や確信が社会全体として弱まっている兆候とも受け取れます。

いずれも、「これからの幸福とは何か?」と問うための起点として見事に設計されていましたが、どうしても気になるのは、未来予測における“価値観”が現行のスライドだった点です。

「変化」が停滞して見える理由とその含意

(以下は私の勝手な私見であり、博報堂の見解ではありません。念のため)

1.未来に対する“構想力”の停滞
かつての日本社会(高度経済成長期〜バブル期)には、「明日は今日より良くなる」という“上昇前提の未来観”がありました。しかし今、多くの人が「将来は今より良くなる」と言えず、未来を肯定的に描く力が弱まっていると感じます。2040年代の価値観が「今の延長線上」で想定されているのは、そうした未来の“見通しのなさ”を可視化しているように思えます。

2.変化のスピードが速すぎて、予測が困難
AI、量子コンピュータ、AGI、気候変動、地政学リスクなど、多くの変数が複雑に絡み合い、未来像が分岐しています。そのため、「何を重視すべきか」が読めず、調査対象者も現在の価値観を“仮の答え”として繰り延べているのではないでしょうか。

3.「個別化」された価値観ゆえの予測困難性
昔は「幸せとは◯◯である」と多くの人が共有していましたが、今やそれぞれが自分の幸せを定義する時代。ひとつの共通項に基づいて未来を描くことが困難になっており、大衆的価値観のトレンド予測自体が成り立ちにくくなっているように思えます。

未来を描けない社会は、変革よりも現状維持を選ぶ傾向が強くなります。これは、組織経営や政策立案にも通じる重要なインサイトだと思います。

我々に課された「未来を描き続ける」責任

だからこそ、いま私たちに問われているのは、「未来を予測する力」よりも、「未来を描き続ける姿勢」なのではないでしょうか。

「未来をどう生き延びるか」だけでなく、「どんな未来を育てたいか」と語ること。

それは、専門家や政策立案者だけに任せるべきものではなく、私たち一人ひとりが、日常のなかで関与してよい領域のはずです。

たとえば、2040年の社会にはどんな「当たり前」が広がっていてほしいか?

その時代の人々は、どんな言葉で「しあわせ」を語っているのか?

未来は勝手にやってくるものではなく、問いかけと構想を重ねた先にようやく実現するものです。だからこそ、社会のあちこちに「未来のラフスケッチ」を描く場や人が増えていくことが、今後ますます重要になると強く思います。

現代は、「未来像の空白」が広がる時代なのかもしれません。でもその空白を放置するか、自分なりの線を引いてみるかで、社会の方向性は確実に変わります。

未来を描くことは、現実を変える力になる。その想像力と責任を、私たちは引き受けていくべき時代に立っているのだと思います。

亡くなる間際まで「“未来”を見てみたいねえ」となぜか希望していた、最愛の祖母のことを最近よく思い出します。明るい未来を描き、現実を変えていくことは、この平和な世の中を私たちに残してくれた先人たちに対する、ひとつの責任でもあるのです。

P.S.:「かための昭和プリン」がめちゃめちゃ美味しかったです!あと100年生活者研究所がタカラトミーと共同開発した「100年人生ゲーム」(絶賛売り切れ中とのこと)でも遊ばせていただきました(参考リンク:タカラトミー)。ありがとうございます!

BBDF 藤本