なぜ今、Steely Danなのか?
いま改めて、Steely Danを聴く理由があります。それは彼らが、「問いを立てる力」を持った稀有な音楽家だからです。
「問いを立てる」とは、現代において極めて重要な人間的営みです。AIが“答え”を量産する時代に、人間に残された創造性とは「そもそも何を問うべきか」を見出す力に他なりません。
Steely Danの歌詞が、まさにそれを体現しています。ただの恋愛ソングではなく、ただの社会風刺でもありません。美しいコード進行とジャズ的洗練の裏には、鋭く、緻密で、冷静な「違和感」が仕込まれているのです。
たとえば、日本ではTVCMなどでお洒落なBGMとして広く流布した、ドナルド・フェイゲン(Steely Danの首謀者)の「I.G.Y.」。「国際地球観測年(International Geophysical Year)」をテーマにしたこの曲は、明るいシンセサウンドと軽快なビートに乗せて、次のようなフレーズを歌っています(こちらのブログも併せてご参照ください)。
Get your ticket to that wheel in space / While there's time
「宇宙空間の輪に乗り込め、間に合ううちに」
表面だけを聴けば、未来への期待とテクノロジーへの憧憬が広がっているように思えます。しかし、この曲は1950年代的な“科学信仰”への痛烈なアイロニーに満ちているのです。人間の幸せを技術が保証してくれるという無邪気な思い込みを、フェイゲンは静かに笑っているのです。
未来への希望を語りながら、その実、「そんな未来など本当に来ると思っているのか?」という皮肉を込める。
これぞ、表層の肯定に見せかけて、内面に“問い”を刻む歌詞表現と言えます。
フェイゲンからの問いかけ
Steely Danやドナルド・フェイゲンのソロ作品に触れて驚かされるのは、彼らが「答え」を語らないことです。代わりに提示されるのは、「見過ごされがちな矛盾」「快適すぎる不快」「洗練された違和感」です。
彼らの歌詞に共通するのは、次のような姿勢です。
- 物語の中心人物が“ヒーロー”ではなく、むしろ敗者(Deacon Blues)や逃避者(Goodbye Look)であること
- 感情をむき出しにせず、むしろ冷静な構文と視点操作で「語りのズレ」をつくり出すこと
- 明るい音楽に暗い意味を重ねることで、思考停止を防ぐ余白をつくること
そして、彼らの作品は聴き手にこのように問いかけてきます。
「君は、その“当たり前”に違和感を持てるか?」
「君は、その甘さに酔ったまま生きていないか?」
「君は、自分で“名乗る”勇気を持っているか?」
Steely Danの歌詞は、ただの洒落たポップスではありません。それは、AI時代を生きる現代人のための「批判的思考トレーニング」であり、「問いを立てる力」の教科書です。
私たちは今、あらゆるものが自動化され、“最適化”されていく時代を生きていますが、その中でこそ、「これは本当に最適なのか?」と問う姿勢が、人間を人間たらしめるのだと考えます。
そう考えるとき、Steely Danは決して過去の音楽ではありません。むしろ、AI時代のために先回りして“人間の強さ”を歌っていた音楽だったのかもしれないとすら思う次第です。
代表曲から学ぶ「問い」の技法(Steely Dan編)
Steely Danの楽曲を時系列でたどると、その歌詞が一貫して「問いを立てる」構造で貫かれていることに気づきます。
ここでは彼らの代表的な曲から、「批判的思考の技法」としてどのような問いを仕込んでいるのかを読み解いていこうと思います。
■ Kid Charlemagne(1976/The Royal Scam)YouTubeリンク
「君はまだ天才と呼ばれたいのか?」
この曲は、かつてLSD製造で名を馳せた実在の人物・オウズリー・スタンリーをモデルにしたとされる歌です。語り手はかつて“時代の寵児”だった人物に対し、過去の栄光と今の落魄を並置しながら語りかけます。
While the music played, you worked by candlelight
Those San Francisco nights
You were the best in town音楽が流れる中、あなたはろうそくの灯りで働いていた
あのサンフランシスコの夜
あなたは街で最高だった
しかし、その後こういうフレーズが出てきます。
Is there gas in the car?
Yes, there’s gas in the car車にガソリンは入っている?
うん、入っているよ。
一見、ただのやり取りのように聞こえるこのフレーズは、「まだ逃げるつもりか?」という皮肉な問いです。逃亡の途中で自問自答するように繰り返されるやりとりは、“もうすでに終わっているのに、気づかずに走り続けている姿”を描いているのです。
【問いの核心】
かつて持て囃された「革命的な存在」が、今や追われる犯罪者の身。
「それでも君は、まだそれが“未来”だと思っているのか?」
■ Deacon Blues(1977/Aja)YouTubeリンク
「敗者にも名前が必要だろう?」
この曲は、“Deacon Blues”を自称する中年男の語りです。
「勝者」ばかりが称えられる社会の中で、「敗者」である自分自身に誇りを与えるために、自ら「聖なる者(Deacon)」と「嘆きの者(Blues)」という相反する言葉を合体させた造語を名乗っているのです。
They got a name for the winners in the world
I want a name when I lose世界の勝者たちには名がある
負けるときにも名前が欲しい
このフレーズは、まさに「問いの発火点」です。
「なぜ勝者ばかりが名を持つのか?」「敗者の生にも物語はないのか?」という根本的な価値観への異議申し立てです。
【問いの核心】
サックスを学び、スコッチを飲みながら、彼は敗北を“生き様”に変える問いを立て続けます。これはただの“中年の嘆き”ではなく、成功主義に覆われた社会への、静かな反転の詩と言えます。
■ Black Cow(1977/Aja)YouTubeリンク
「これは、お前自身の問題だろう?」
最高傑作アルバム『Aja』のオープニングを飾るこの楽曲では、語り手は問題の多い恋人に別れを告げます。しかし、その語り口は怒りに満ちているわけではなく、冷静な観察者の視点で事実を並べていきます。
They saw your face
On the counter
By your keys
Was a book of numbers彼らはお前の顔を見た
カウンターの上で
鍵のそばに
電話帳が置かれていた
この部分は、行またぎによる多重解釈構文の傑作です(詳細は後述します)。
「彼らはカウンターの上でお前の顔を見た」でもあり、「カウンターの上、鍵のそばに電話帳があった」でもあり得るのです。言葉の構文そのものが、問いを二重化する、という技巧の極致。
【問いの核心】
この関係はなぜ破綻したのか? だが、どちらが悪いという構造に持ち込まず、むしろ語り手は「なぜ自分は、ここまで放置してきたのか」と問うています。
■ Babylon Sisters(1980/Gaucho)YouTubeリンク
「その快楽は、本当にお前のものか?」
淡々としたリズムと上質なコード進行に乗せて描かれるのは、“バビロン・シスターズ”と呼ばれる女性たちとの怠惰な日々です。語り手は享楽を享受しながら、どこか引いた目でその状況を眺めています。
Shake it, Babylon Sisters, shake it
腰を振れ、バビロンシスターズ、腰を
この“shake it”は煽っているのではなく、もはや空虚な儀式として繰り返される合言葉のようです。
Well I should know by now
That it's just a spasmもう気づいてもいいころだろう
これは束の間のオーガズムに過ぎない
【問いの核心】
「慣性で過ごす怠惰な日々、それ自体が生きる理由になっていないか?」
「お前の快楽は、誰かに与えられた幻想ではないのか?」
■ Hey Nineteen(1980/Gaucho)YouTubeリンク
「お前、本当にこの子と話が通じてるのか?」
語り手は“19歳の彼女”と過ごす中で、「アレサ・フランクリンを知らない」ことに絶望します。ジェネレーションギャップというより、文化そのものへの断絶感が主題です。
Hey Nineteen
That's 'Retha Franklin
She don't remember
The Queen of Soulヘイ、19歳
それはアレサ・フランクリンだ
彼女は覚えていない
ソウルの女王を
この“she don't remember”という文法的に崩れた言い方(普通は“doesn't”)も含め、語り手はあきらめの境地にいます。その感覚の中で、やがて「ティキーなコロンビア産」を使って、“考えること”をやめていきます。
【問いの核心】
「自分の価値観が共有されないとき、俺たちはどうするのか?」
思考停止へ逃げる語り手自身が、問いを放棄していく過程を描いています。
Steely Danの代表曲をこうして追ってみると、彼らの歌詞がいかに明言しないまま、鋭い問いを聴き手の中に発火させる設計になっているかがよくわかります。
- 語り手のズレた視点
- 不安定な構文の多義性
- 心地よいサウンドに重ねられた違和感
彼らは一貫して、「これは誰の物語か?」「なぜそう思い込んでいたのか?」といった問いを、詩と音楽の構造で刻みつけているのです。
代表曲から学ぶ「問い」の技法(ドナルド・フェイゲン編)
Steely Danの一翼を担いながら、ドナルド・フェイゲンはソロアーティストとしても非常にユニークな存在感を放ってきました。ソロ作品では、バンドよりもさらに“内省的で個人的な世界”に踏み込んでいます。
とはいえその本質は変わりません。むしろフェイゲンのソロこそ、「問いを立てる力」がよりむき出しで発露されていると言えるでしょう。
ここでは彼の主要なソロアルバムから、代表的な楽曲をいくつか取り上げ、“問い”の在り方を読み解いていきます。
■ The Goodbye Look(1982/The Nightfly)YouTubeリンク
「“あの空気”、変わってるのに気づいてるか?」
傑作『The Nightfly』の中でも陽気なサウンドで異彩を放つこの曲は、南国のリゾート地に滞在するアメリカ人の語り手が、周囲の政治的緊張に気づきながら、じわじわと自国の無自覚さと傲慢さに気づいていく、物語性の強い、陰影に富んだ一曲です。音楽と酒、女たちとスチールパンに囲まれた“楽園”だった場所が、静かに壊れていく瞬間を描いています。
The surf was easy on the day I came to stay
On this quiet island in the bay波は穏やかだった 私が滞在しに来たあの日
湾に浮かぶ静かな島で
この冒頭は、美しい避暑地での穏やかな日々を思わせます。しかし続くフレーズに、すでに“不穏な兆し”が入り込んできます。
All the Americans are gone except for two
The embassy's been hard to reachアメリカ人はほとんど帰国した
大使館への連絡は難しくなっているThere's been talk and lately a bit of action after dark
Behind the big casino on the beach噂が広がり、最近は夜の帳が降りると少し動きがある
海辺の大きなカジノの裏で
楽園の空気が変質しています。観光地の裏で、革命あるいは暴動の兆しが見えます。キューバ革命のことを歌っているのかもしれません。
The rules are changed, it's not the same
It's all new players in a whole new ball gameルールは変わり、もはや同じものではない
まったく新しいプレイヤーが、まったく新しいゲームを繰り広げる
まさにフェイゲンらしい皮肉と警告が混ざった一節です。「いつまでも同じルールが続くと思うなよ」と。
I know what happens, I read the book
I believe I just got the goodbye look結末は知ってる、本で読んだ
今、俺は“さよならの視線”を受け取った気がする
「Goodbye Look」とは、誰かが直接言葉にはせずとも、目で伝える「もう終わりだよ」という無言のメッセージです。革命か、逃亡か、崩壊か、何が起きるかは明言されていませんが、空気は明らかに“終わり”を告げています。
【問いの核心】
「空気が変わったとき、それにきちんと気づけるか?」
「“言葉にならないサイン”を受け取る感性を、持っているか?」
この曲は、空気の変化に気づけるかどうかという、現代的センサーの鋭さとそれが欠落することの危険性を問うています。「平和ボケ」への警鐘と捉えることもできるかもしれません。
■ New Frontier(1982/The Nightfly)YouTubeリンク
「未来は、本当に明るいのか?」
舞台は冷戦下のアメリカ。父親が核戦争に備えて地下に掘った核シェルターに友人たちを集めて開く、ひと夏の“パーティー”が描かれています。
The keyword is survival on the new frontier
キーワードは“生存”。ここは新たなフロンティアだ
ここにあるのは、明るさと不安の奇妙な同居です。冷戦という“終末”の予感に囲まれながらも、それを青春の舞台として乗りこなそうとする若者たちの姿が描かれています。
I hear you're mad about Brubeck (Brubeck, Brubeck)
I like your eyes, I like him too君、ブルーベックに夢中なんだろ?
僕もそうなんだ
ジャズピアニストのデイヴ・ブルーベックが出てきます。冷戦時代でも知的で実験的な音楽を奏でた“開拓者=パイオニア”として、未来の象徴としての登場です。
【問いの核心】
「この防空壕にあるのは、生き延びる覚悟か、逃げの楽観か?」
「僕たちが語る“希望”は、どこまで本音なのか?」
この曲もまた、未来への違和感をポップに包んだ、疑いの美学です。
■ Snowbound(1993/Kamakiriad)YouTubeリンク
「何もしないことは、悪いことじゃない。でも、それでいいのか?」
2ndソロアルバム『Kamakiriad』は、架空の“近未来ドライブ旅行”を描くコンセプト作ですが、この曲ではその旅の途中に、語り手が雪に閉ざされた都市に滞在する一日が描かれています。
We can beat the freeze
And get saved tonight凍てついた空気の中でも
僕らは救われることができる
この「get saved」は宗教的意味だけでなく、退屈、孤独、閉塞感といった現代的“凍え”からの解放として読むこともできます。
That little dancer's got some style
Yes she's the one I'll be waiting for
At the stage doorあの小さなダンサーは確かなスタイルを持っている
そう、彼女こそが
ステージの扉の前で待ち続ける相手
語り手はあるダンサーに心を寄せますが、それは決して劇的な恋ではありません。寂しさ、期待、諦め、すべてがうっすらと氷の膜で覆われたような感情が流れています。
【問いの核心】
「何も起きない夜を過ごして、それで“満たされた”と思ってしまっていないか?」
現代の都市生活やテレワーク社会、AIに囲まれた便利な世界にも通じる「無風と快適」の中で、“違和感に鈍感になっていないか”という問いを投げかけて来ます。
■ Morph the Cat(2006/Morph the Cat)YouTubeリンク
「安心感はどこから来て、誰のものなのか?」
3rdソロアルバムのタイトル・トラックです。マンハッタン上空に現れる巨大で曖昧な猫のような存在である“Morph”をめぐる、不思議な叙述が続きます。9.11以降のセキュリティ社会を背景にしていると言われている曲ですが、この猫は神でもヒーローでもなく、「見えない不安のメタファー(暗喩)」のように考えられます。
Gliding like a big blue cloud
From Tompkins Square to Upper Broadway
Beyond the Park to Sugar Hill
Stops a minute for latte大きな青い雲のように滑るように移動し
トンプキンス・スクエアからアッパー・ブロードウェイへ
公園を越えてシュガー・ヒルへ
ラテのために一瞬立ち止まる
“Morph”は、街をなめるように滑空し、まるで街の一部になり、人々の暮らしに溶け込む何かです。それはまるで、都市生活の中に染み込む“空気”そのもののようでもあります。
To make you feel all warm and cozy
Like you heard a good joke
Like you had a Mango Cooler心地よく、温かい気持ちにさせる
まるで良いジョークを聞いた時のように
マンゴークーラーを飲んだ時のように
“Morph”は、不安や違和感をなだめる存在として描かれています。しかし、それは果たして自分で得た安心感なのでしょうか?それとも誰かに与えられた単なる幻想なのでしょうか?
【問いの核心】
「誰が設計したかもわからない“安心感”や“心地よさ”に、思考を委ねてしまってはいないか?」
■ Slinky Thing(2012/Sunken Condos)YouTubeリンク
「これは愛か?それとも逃避か?」
2012年に発表したされた『Sunken Condos』の1曲目です。中年男性の語り手が若い女性との関係を始めたときに感じる周囲の視線と、自分自身の揺れを描いた内容です。
Mad man on a bench screams out
“Hold on to that slinky thing”ベンチにいた男が叫ぶ
「そのスリンキーな娘を離すな!」
“Slinky Thing”という表現には、魅惑と軽薄の両方のニュアンスが込められているようです。
Went to a party
Everybody stood around
Thinking, “Hey, what’s she doing
With a burned out hippie clown?”パーティーへ行った
みんな立ち尽くしながら考えていた
「ねえ、彼女は一体何をしてるんだ
あの燃え尽きたヒッピー崩れと?」
周囲の反応は冷ややかです。ユーモラスに描かれてはいますが、おじさんの内心はグサグサと刺されています。
Today we were strolling
By the reptile cage
I’m thinking, “Does she need somebody
Who’s closer to her own age?”今日、僕たちはぶらぶら歩いていた
爬虫類のケージのそばを通りながら
ふと思う、「彼女にはもっと年の近い
誰かが必要なんじゃないか?」
ここに現れるのが、自分が“ずれている存在”なのではないか?という自己懐疑、内面の葛藤です。
【問いの核心】
「愛情と逃避の境界線を、見極めることができているか?」
「“周囲の目”ではなく、“自分自身の問い”に耳を傾けているか?」
フェイゲンは、この曲を通してこう語りかけているのかもしれません。
「ズレたまま生きることを、恥ずかしがるな。ただ、自分の中の違和感には、ちゃんと名前をつけておけよ?」
Steely Danが「社会的な問い」を投げかけていたとすれば、ドナルド・フェイゲンのソロ作品は、「個人的な違和感や恥、麻痺や逃避」といった、内面の問いを主に描いています。
そこにあるのは、「格好悪さ」や「滑稽さ」を排除しない冷静さ。そして、自分を笑いながらも、その中にある真実を見つめようとする誠実さです。
フェイゲンは、滑稽さを知っているからこそ、問いを立てられるのです。その感覚こそが、私たち現代人に必要なのではないでしょうか。
Steely Dan/フェイゲン流 クリティカル・ライティングの技法
Steely Danやドナルド・フェイゲンの歌詞は、単に“内容が批判的”なのではありません。その言葉の選び方、リズム、構文、言い回しのすべてが、思考の構造そのものを設計しています。
言い換えれば、「歌詞を書くとは、“問いを立てる構文”を設計することである」ということになるでしょう。
彼らの作品を支える独自のライティング技法を、批判的思考の観点から読み解いてみます。
1. 構文の二重露出:意味が“二方向”に流れる
代表例は先ほども出てきた『Black Cow』のこのフレーズです。
They saw your face
On the counter
By your keys
Was a book of numbers
一見、単なる情景描写のように見えますが、ここには意味が前後にまたがる構文トリックが仕掛けられています。
- 「They saw your face on the counter」
- 「On the counter, by your keys, was a book of numbers」
このように、ひとつの語句(“On the counter”)が、前後両方向に意味を分岐させる構文は、まさに“問いの重ね書き”です。
「誰が何を見たのか?」「“Book of numbers”とは何か?(電話帳だと思うのですが、明らかではありません)」「誰がそこにいたのか?」それらすべてが明示されておらず、問いだけが残ります。構文を跨いで違和感を仕込んでいるのです。
2. 押韻、頭韻、複合韻による“思考の滑走路”づくり
彼らの歌詞は極めて技巧的な音韻操作(rhyme & alliteration)によって構成されています。それらは単なる音の美しさではなく、思考の速度や印象操作のために使われているのです。
例① 母音押韻
Hide inside a hall / Waiting for the call
“閉じこもる”という行動に、音としての閉塞感と繰り返しが重なっています。
例② 頭韻
Graphite and glitter from the fourteenth floor
「G」「F」音の反復で、感情よりもディテールで思考を押し出しています。
例③ 複合韻
Come ragin' / rampagin'
異なる音節から成り立つ要素を組み合わせ、新しい驚きを生み出しています。
押韻がリズムをつくり、リズムが問いを先導しているのです。
3. 美しい音に醜い意味を乗せる:音楽と歌詞の乖離戦略
Steely Dan最大の特徴とも言えるのがこれです。心地よいコード進行とクリーンな演奏に、暗く重い意味を載せるという“逆張り”の美学。
『Babylon Sisters』の例
リラックスしたシティポップ風の音像に対し、歌詞では虚無と退廃が描かれています。
I’m way deep into nothing special
「快楽のど真ん中」にいるのに、「何も特別じゃない」
この乖離によって、リスナーは“あれ?”という違和感=問いの入口に立たされるのです。
4. アナクロニズムとメタファー:時代のズレを問いに変える
彼らの歌詞には、よく古びた地名・文化・テクノロジーが登場します。
- 『The Nightfly』の核シェルター、ルンバのレコード、ティーン雑誌
- 『Morph the Cat』に出てくる巨大な黒猫(不安のメタファー)
- 『The Caves of Altamira』に出てくる旧石器時代のスペイン
これらは、過去と現在をズラすことで、「今ここ」が本当に正しいのか?と問うための装置としての役割を強烈に果たしています。アナクロニズム=時代錯誤を仕掛け、現代の常識を揺らしているのです。
5. アイロニー:語る内容と語り手のズレ
Steely Danの語り手は、常に少しズレています。どこか醒めていて、何かをごまかしていて、本心を語っていないように見えるのです。
- 『Hey Nineteen』で若い女性と過ごす男は、内心で退屈し、共通の文化(話題)すらありません。
- 『Deacon Blues』では、名乗ることでしか生きられない中年男が、敗者としての美学を妄想しています。
「この語り手の言葉、信じていいのか?」という疑念が、問いの始まりとなっているのです。語りの“信頼性のなさ”そのものが、問いを生む構造です。
6. 断定を避ける構造:答えを語らない勇気
フェイゲン/ベッカーの作品には、“答え”がほとんど登場しません。たとえ問いが提示されても、それに明確に決着をつけることを避けているのです。
- 『Snowbound』では、“こもっている”ことの是非を語らず、
- 『Deacon Blues』では、彼の人生が成功だったのかどうかを判断しません。
断定を避け、余白の中に問いを残しているのです。「思考は“保留”から始まる」これが批判的ライティングの核心なのかもしれません。
彼らの歌詞は、「問いとは何か?」を考えるための構造的な参考書と言えます。構文・押韻・視点・アイロニー・余白…そのすべてが、「何をどう問うか」を精緻に設計しているのです。
つまり、Steely Danやフェイゲンの歌詞は「意味を伝える文章」ではなく、「思考させる文章」なのです。私たちが“書く”という行為を見直すとき、そこにSteely Danが教えてくれるものは決して少なくはありません。
なぜ“問い”を立てる人は、世界の端にいるのか
なぜ、フェイゲンはあれほど冷静に世界を見渡せるのでしょう?そしてなぜ、彼の歌詞にはあれほど深い“違和感”が滲むのでしょう?
実は、Steely Danやドナルド・フェイゲンの作品に一貫して流れているのは、「内側に入りきれない者のまなざし」です。
フェイゲン自身の経歴と立ち位置をたどりながら、彼の「問いを立てる力」のルーツを探ってみたいと思います。
○ 家族、郊外、そして“違和感”
1950年、ニュージャージー州パセーイクに生まれたドナルド・フェイゲンは、後に郊外の町サウスブランズウィックで育ちます。
父は会計士、母はもともと音楽教師志望の主婦。典型的な中流ユダヤ系家庭にもかかわらず、フェイゲンはこの空間に猛烈な疎外感を抱いて育ちました。
"I felt like I was being trained to become one of those anonymous middle managers in the IBM cafeteria."
「まるで、IBMの社員食堂で働く無名の中間管理職になる訓練を受けているような気分だった」
本人のこの言葉がすべてを物語っています。
彼にとって、郊外とは「従順な大人の工場」でした。その空気に染まらなかったことが、最初の“問い”だったのです。
○ ユダヤ系であることの「ズレ」
フェイゲンは、白人中心のコミュニティにおいて、ユダヤ系であることによる“微細な差別”や“文化的ズレ”を幼少期から経験してきました。物理的に排除されるわけではありませんが、常に“場違い感”がつきまとったのです。
このような「内側にいるのに属しきれない」感覚こそが、後の歌詞世界の土台になったのではないかと考えられます。
○ ジャズとの出会い:コードと違和感の学習
10代のフェイゲンはテレビから聴こえてきたデューク・エリントンやモンクの演奏に強い衝撃を受けます。整然とした世界に背を向けるかのような、あの不安定で知的な音楽に。
美しいのに不穏。整っているのに自由。そういうジャズに触れることで彼は、「音楽=思考の形式」であることを学んだのではないでしょうか。その後もずっと、コード進行と世界観の“ズレ”を表現することが、彼の作詞作曲の核となっているように感じます。
○ 文学と皮肉の吸収源
フェイゲンはバード大学で文学を専攻し、そこでウォルター・ベッカーと出会います。二人はすぐに意気投合しますが、それは「音楽の趣味が合った」からではなく、「この世界の嘘っぽさに気づいていた」からだと言われています。
彼らが共通して読んでいたのは、ナボコフ、ケルアック、ウィリアム・バロウズ、トマス・ピンチョンら、いずれも「語りの信頼性が揺らぐ小説」ばかりでした。ここでフェイゲンは、“語り手のズレ”が物語の奥行きを生むことを学びました。
○ スターダムへの拒否、表舞台への違和感
Steely Danは、レコード売上や批評家評価で確かな成功を収めながらも、ほとんどライブ活動をしないスタジオ完結型のバンドでした。それは決して「演奏が苦手だから」ではありません。“ステージに立つべき人間ではない”という感覚があったのです。
彼は有名になるために音楽をやっていた訳ではなく、ただ、自分が感じている世界の感触を音にしたかっただけなのです。
○ 問いは、「周縁」が生み出す
ここまで見てきたように、フェイゲンという人物はずっと「中心にはいない」「だが外でもない」という位置に身を置き続けてきました。その視点が、あの鋭くて、冷たくて、でもどこか人間くさい歌詞を生んだのです。
彼は誰かを裁くわけでも、世界を変えようとするわけでもありません。ただ、違和感に名前をつけるのです。そして、答えを急がず、問いの形を磨き続けています。
世界の端にこそ、思考の拠点がある
このように、Steely Danやドナルド・フェイゲンの音楽を聴くことは、ただの鑑賞ではありません。それはむしろ、「世界を違う角度から見る訓練」なのです。
「これは本当に最適なのか?」
「その幸福、誰が定義したもの?」
「お前は今、本当に自分で名乗っているか?」
そうしたあらゆる「問い」を自分自身に向けられる力こそが、AI時代を生きる私たちにとっての武器になるのだと考えます。そして、その力の鍛え方を、フェイゲンは音楽の中でこっそり教えてくれていたのです。
BBDF 藤本