働き方改革3.0:「越境」と「共進化」が日本の生産性を再起動する

旧来の労使対立を超えバックキャスティングで描く日本型ワークデザイン

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「高市総理の一手」は、改革の逆流なのか

本日2025年11月12日付の日本経済新聞は、高市早苗総理が労働時間の上限緩和を成長戦略の柱に据える方針を打ち出したと報じた(日本経済新聞高市早苗首相、労働時間の上限緩和狙う 働き手の需要踏まえ検討)。

「もう少し働けるのに、企業が過剰に反応している」という言葉には、確かに現場のリアリティもある。だが同時に、このニュースを聞いて違和感を覚えた人も少なくないだろう。「働き方改革」で長年取り組んできた残業削減・労働時間短縮という流れに、真っ向から逆行するようにも見えるからだ。

果たしてこれは、“時代に逆行する政策”なのだろうか。

「手段が目的化した」働き方改革

そもそも、働き方改革の本来の目的は「生産性の向上」である。ところが、制度設計の過程で“時間の短縮”という手段が目的化し、「働く時間を減らすこと」自体が善とみなされてしまった。

結果として、日本企業の生産性はこの6年間で世界ランキングをさらに落とした(OECD加盟38か国中29位)。つまり、「時間を減らしたのに、成果は上がらなかった」という、皮肉な構図である。

これは単なる政策ミスではない。「量(労働時間)」だけを削り、「質(学びや成長)」を設計しなかったことによる、構造的な問題と言える。

高市政権の「上限緩和」と越境労働推進は矛盾するのか

いまの日本社会には、二つの大きな潮流がある。

  • 一方は、高市政権が掲げる“1社における労働時間上限の緩和”
     → これは「労働供給量」を増やし、経済の量的活力を取り戻す試みである。
  • 他方で、政府や経済界が推進する“副業・兼業・越境学習”
     → これは「学びと経験の質」を拡張し、人材の内的進化を促す動きである。

この二つは、表面的にはまったく逆方向に見える。前者は「働く時間を増やす」、後者は「本業を減らして外で学ぶ」。

一見すると矛盾しているように見えるが、実はこの二項対立は同じ平面上で比較していること自体が誤りである。

“時間軸”と“学習軸”という異なる座標

両者は、次元が異なる問題を扱っている。高市政権のアプローチは「量的問題(労働供給)」を、越境学習・副業推進は「質的問題(能力進化)」を対象にしているのだ。

つまり、両者を単純に足し算・引き算で論じても、答えが出ることはない。必要なのは、「量」と「質」を統合的に捉え直す新しい生産性モデルだ。

鍵は「量×質=生産性」ではなく、「時間×学習透過率」

これまでの「量×質=生産性」という公式は、“量と質は独立した要素である”という前提に立っていた。しかし現実には、量(時間)と質(学習・成長)は相互変換可能なエネルギーである。同じ8時間でも、そこにどれだけ「新しい学び」が透過しているかによって、生産性はまったく異なる。

ここで提案したい新しい視点がある。

生産性 = 労働時間 × 学習透過率

つまり、「どれだけ長く働くか」ではなく、「働く時間の中にどれだけの“学び”が透過しているか」で評価すべきということだ。

越境労働を“外部OJT”として本業に組み込む発想

では、どうすればこの「学習透過率」を高められるか。答えは、「越境労働」を本業の延長線上に位置づけることである。副業・兼業を“余暇で稼ぐ行為”とみなすのではなく、「他業界や他社を通じてスキルを拡張する外部OJT(越境的研修)」として再定義するのだ。

すると構造が一変する。

  • 副業先(受け入れ側)は報酬を支払わず、実務機会を提供
  • 本業側(雇用主)がその時間を“研修費”として負担
  • 個人は経験を得てスキルを還流
  • 労働時間の管理責任・健康管理は本業が一元的に担う

この発想は一見突飛に思えるかもしれない。だが、従業員の越境により本業が手にする果実は極めて大きなものだ(それに未だ気づいていない経営者は、反省した方が良い)。外部で得た知見やネットワーク、問題解決力は、最終的に自社の競争力に還元される。越境とは、労働力の流出ではなく、知の循環投資にほかならない。

中小企業社会における「企業またぎ」の必然性

理想を言えば、1社の中で多様な体験(社内越境)ができるのが望ましい。しかし、日本の企業の約99.7%は中小企業(そして全労働者の約7割が中小企業勤務)であり、そのような環境整備を自社内だけで完結させることは難しい。

だからこそ、「企業またぎ」こそが、学びと成長の現実的インフラとなる。そしてそれを安全に、健全に、制度として支える仕組みが「本業負担型・外部OJTモデル」なのだ。

通算労働時間管理という“見えない壁”

この構想を現実に落とし込むうえで、もう一つの課題がある。通算労働時間の可視化だ。筆者も以前「マイナンバーを活用した全労働者の通算労働時間管理」の可能性について議論したことがある。

結論から言えば、技術的には実現可能だが、制度的・法的・文化的にはハードルが非常に高い。
つまり、システムを作れることと、社会として運用できることはまったく別の問題である。

だからこそ、現実解としては、「責任の一元化」=本業が通算管理を担うというモデルが、最も実務的で安全な落としどころになる。

本業を持たない人のための“登録エージェント構想”

では、「本業を持たない人」、たとえば複数のスポットワークを組み合わせて生計を立てている人はどうすればよいのだろうか。この層こそ、AI時代に確実に増えていく。にもかかわらず、現行制度では「健康管理」「社会保険」「労働時間責任」のいずれも曖昧なままだ。

この問題を解く鍵の一つが、“登録エージェント”という第三の仕組みである。それは従来の派遣会社のように人材を“雇う”のではなく、働く個人を社会的に管理・支援する代理組織として設計する、全く新しい概念だ。

  • 役割は、労働・学習履歴や健康データの統合管理。
  • 本業のない個人に代わり、労働安全・通算時間・健康指導の責任を受託。
  • 雇用関係は持たず、指揮命令もしない。
  • ただし、安全衛生・過労防止などの“社会的安全管理”を代行する。

海外には**Employer of Record(EOR)という仕組みがあるが、この構想はそれとは逆方向、つまり「雇用代行」ではなく、「社会的スチュワード(人的資本の保護者)」としての立ち位置を目指すものである。

名称を付けるなら、「越境ワーク登録機構(Cross-Work Stewardship Agency)」などであろうか。登録した個人の働き方を横断的に管理し、安心と学びの循環を保証する社会インフラである。

こうした仕組みを導入すれば、

  • 本業を持つ人は「本業企業が責任を負う」
  • 本業を持たない人は「登録エージェントが代理で責任を担う」
    という二重構造が成立し、すべての労働者が通算的に守られる環境が実現できる。

企業が人を守る時代から、
社会が越境する個人を守る時代へ。

この発想こそが、AI時代の働き方を考える上で何より重要になるはずだ。

この仕組みがもたらす日本経済への正の連鎖

このモデルが実現すれば、次のような波及効果が期待できる。

  1. 生産性向上の構造転換
     時間削減型ではなく、「学び透過型」へと転換。
  2. 人材の越境と地域循環の促進
     中小企業・地方企業間の人材交流が活発化。
  3. 人的資本投資の可視化
     企業会計上の「教育投資」として計上可能に。
  4. 健康・安全管理の一元化
     本業または登録エージェントが責任を持って通算労働時間・健康データを統合。
  5. 日本全体の学習循環(リスカレント)社会への移行
     学びが仕事の一部となり、働くこと自体が成長行為になる。

働くこと=学ぶこと、という再定義へ

高市政権の「上限緩和」は、単に“働く時間を延ばす”政策ではない。それを「学びを拡張する余地」として再設計できれば、働き方改革と越境労働は初めて内的に接続する。

「副業」を“余暇の稼ぎ”ではなく、「企業が外部環境を通じて社員に投資する新しい研修制度”と見なす。

“時間を減らす改革”から、“時間の意味を変える改革”へ。これこそが、日本が次に踏み出すべき「働き方改革3.0」の方向ではないだろうか。

そして何よりも、旧来の労使対立という20世紀型座標軸のまま、もはや未来の働き方を語るべきではない。「経営者か、労働者か」という構図のみに立脚したような議論は、AIや越境が前提となる時代には意味をなさない。“過去の産業社会”を前提とした思考な名残にすぎない。そこにあるのは、理念の遅延であり、現実への想像力の欠如だ。「働く人を守る」という目的を掲げながら、実際には“変化を拒む装置”として機能してしまっている事実を、労働組合やアカデミア(いずれも一部の、としておく)は、冷静に見つめ直すべき時だ。

未来を築くために必要なのは、対立ではなく共進化(Co-evolution)のデザインである。企業も労働者もアカデミアも、共に「人間がどう成長し、どうAIと共存するか」という新しい社会契約を描く当事者にならなければならない。

対立の言語から、共進化の言語へ。
「守る改革」ではなく、「進化する改革」へ。

それを築ける国こそが、次の時代の「人的資本大国」になる。

人間×AI共進化ストラテジスト/HRアーキテクト
藤本英樹(BBDF)