意味なき「AGIの到来時期予測」

定義の混乱を解いてみた

· Insights,Social Issues

AGIの到来時期を議論する前に、まず定義を統一すべきでは?

昨日、日経新聞でAGI(汎用人工知能)到来時期に関する有識者の見解一覧が公開されました。(リンク:日本経済新聞

パッと見、「そう遠くない未来にAGIは来る」というのが、統一見解のように見えます。ただ皆さん、これを見て(読んで)、おかしな点に気づきませんでした?そう、「AGIの定義」がいまだに明確ではないのです。異なる前提の上に議論は成立しませんよね。ましてや、タイムライン化する意味、良くわかりません。

では何故、いつまでもAGIに明確な定義を与えないのでしょうか?

各有識者による「バラバラな定義」

今回の一覧でも、各人によるAGIの定義はバラバラです。例えば下のような感じ(僭越ながら、私見も交えて分析してみます)。

○マスク氏
定義:「人間の誰よりも賢い」
主軸:トップの人間との比較
評価軸:単一絶対値(IQ)
問題点:「誰よりも賢い」が主観・哲学的で検証不可能。「賢さ」をIQなどで測るかどうかも明示されておらず、評価軸が曖昧。

○アモディ氏
定義:「ほとんどの分野でノーベル賞受賞者よりも賢い」
主軸:ノーベル賞超え
評価軸:高知性 × 領域横断
問題点:「ほとんどの分野」が曖昧かつ、ノーベル賞は知能そのものを示すとは限らない(発見のタイミング、業績の可視化、政治的配慮などが影響)。

○曽根岡氏
定義:「ほぼすべての業務で優秀な人間を上回る」
主軸:業務のパフォーマンス
評価軸:汎用性 × 卓越性
問題点:「優秀な人間」の定義が主観的。業務の多様性により、評価基準が分野ごとに異なり、統一が難しい。

○李氏
定義:「人間がやることの90%を、90%の人間より上手にこなせる」
主軸:分布による優位性
評価軸:達成率 × 分布
問題点:達成率という定量指標は有用だが、「90%のタスク/90%の人間」がどの範囲か不明で、基準設定の恣意性がある。

○ファン氏
定義:「ビジネススクールなどの全ての難関試験に合格できる」
主軸:試験合格
評価軸:教育指標
問題点:試験への合格能力は「知識・ロジック」に偏重しており、現実的な状況判断・創造性・感情理解といった側面をカバーしない。

…このように、それぞれが異なる軸で定義していれば、当然その到来予測も異なってきます。定義(=前提)の統一化が図られていない以上、「このようなタイムラインに何の意味があるのか?」という疑問は、どうしても払しょくできません。

なぜAGIを定義しない(できない)のか?

この「なぜAGIの定義が統一されないのか?」という問題の背景には、テクノロジー・ビジネス・哲学・政治の各領域が複雑に絡んでいるように考えられます。以下のような理由により「合理的に定義は避けられている」のではないでしょうか?

① 社会・政治的要因

研究者や技術者は、当然検証可能な定量的定義(IQテストやベンチマークスコア)を好むでしょう。しかし、開発企業(OpenAIやGoogleなど)は、ステークホルダーにとって有利な定義を採用したがるはずです。また、政府や規制当局にとっては社会リスクや倫理課題に基づく慎重な定義を志向するでしょうし、哲学者・未来学者は、意識や自己意図まで含める「強いAGI」的な定義を使いたがるはずです。

つまり、使う人の目的によって定義が変わるという構造的問題があるのです。

② ビジネス・戦略的要因

OpenAIやGoogleなどの開発企業が、以下のような動機によって敢えて定義を曖昧にしている可能性もあるような気がします。

  • 資金調達・注目集め
    「AGIに近づいてます!」と言えば投資家や政府の関心を引くことができる。
  • 競争優位の演出
    明確に「AGIに最も近い」と主張できることがブランド戦略的に有効。
  • 規制回避
    「AGIはまだ来ていない」としておけば、政府による過度な規制を回避できる。
  • 責任回避
    明確な定義がないことで、社会的・倫理的責任の範囲も曖昧にできる。

③ 知能の哲学的問題

「知能とは何か?」という問いは100年以上議論されていますが、心理学や神経科学、哲学でも未だ統一的な定義は存在しません。人間の知能も、IQで表せるのは一部に過ぎず、「創造性」「感情理解」「身体的知能」などは定量化することが困難です。

つまり、AGIは「そもそも定義が難しい知能」を人工的に再現したものなので、定義の不在は構造的に仕方がないのです。

④ マーケティング的要因

定義を確定すると「時期論争」も終わってしまいます。例えば「AGIとはこれ」と明言した途端、その基準で「到来したかどうか」が自動的に決まってしまう。そうすると各社にとって都合の悪い事実(例えば「実はAGIではなかった」や「すでに他社が先行していた」)が明らかになりかねません。

結果として、明確な定義を温存する方が、マーケティング的に有利となります。

このような状況下において、AGIは結局いつまでも「来たような、来てないような状態」が続く可能性すらあるかもしれません。

IQと「知的作業」の実態:分類と割合の試算

AGIの定義が、ざっくりと「人間の行う知的作業の殆どを代替することのできるAI」とされていることはご存じの通りでしょう。ここで重要なのは、「知的作業」とされるものの大半が、実のところ高度なIQを必要としないルーチン業務だという点です。ここを精査せずに「AGI=知的作業の代替」としてしまうことが、議論の粗さに繋がっているようにも見えます。

まず前提として、人間のIQ=100前後とは、平均的な論理的推論・言語理解・処理速度・作業記憶の水準です。これらは「複雑な問題解決能力」よりもむしろ「指示の理解と反復作業の遂行能力」に近い性質があると言えます。

OECDや労働統計に基づいて「知的作業」を大分類してみると、以下のようになります(数値はOECD職業分類、米BLSのO-NETデータ、総務省「職業分類」などからの類推です)。

  • IQ120以上:高度専門職(研究者・コンサルなど)【約5~10%】
  • IQ110~120:専門職(教師・営業・行政)【約15~25%】
  • IQ90~110:一般事務・データ入力【約40~50%】
  • IQ85~95:単純なPC操作・チェック業務【約10~20%】

つまり、現在「知的作業」とされている業務のうち、IQ100を必要としないものがおよそ全体の50〜70%を占めると推定されるのです。「知的作業」と呼ばれていても、手順に沿った判断(例:テンプレートメール処理)や反復的デジタル入力(例:Excel)、FAQ的な顧客対応といった処理型業務が多数を占めているのが実情です。

そして、AGIの代替脅威はこの「IQ100以下ゾーン」にまず及ぶことが既に明らかとなっています。

定義次第では、「AGI=既に到来済み」

現行のマルチモーダルAI(GPT-4oなど)は、言語理解や構文処理では既にIQ110相当以上と言われています。それはChatGPTユーザーの皆さんなら感覚的に異論のないところでしょう。論理的判断や長文構成でも一部は120相当という見方もあり(例:GPT-4のIQ換算試算は130前後という研究もあります)、IQ 100未満の知的作業ゾーンはほぼ「代替可能領域」と見なして差し支えないでしょう。

ということは、仮にAGIの定義を

「人間が行っている知的作業の過半数(特にIQ100未満で対応可能なもの)を代替できるAI」

とした場合、明らかに「AGI=到来済み!」となる訳です。事務的メール作成はGPTで十分対応可能ですし、FAQ・カスタマー対応もBotの商用利用が進行中、書類レビューや報告書要約もGPT-4レベルで実用段階にあります。プログラミングに関してもCopilot等で既に人間超えしていますから。

つまり、定義(前提)次第では、AGIは「すでに到来している」とも言えるし、「まったく到来していない」とも言える。この“定義の相対性”こそが、AGI論争を混乱させている最大の要因だと考えます。

視座を定めるための2軸マトリクス案

現状は、「タスクレベルAGI」としては来ていても、「統合的・自律的AGI」としてはまだ来ていない、という感じではないでしょうか。「AGIは全脳アーキテクチャ的に汎用であるべき」派は、定義を「未知の問題にも自己学習し、タスクを転移・統合できる存在」として置きます。この基準では、現行のAIは以下のような点でまだ弱いと言えますから。

  • 意図の持続的理解(例:文脈を超えて目標を保つ)
  • 身体性・環境適応性(例:ロボットと融合した行動)
  • 意識・内省・価値判断(哲学的意味での汎用性)

前述の開発企業の論理等は一旦置いておいて、「どの地点でAGIを見なすか?」の地図を描くとするならば、以下のような2軸のマトリクスが有効でしょう。位置づけ次第で、「すでに来た」も、「まだ遠い」も、両方正当化することが可能です。

軸①:タスク依存型(GPT的) ⇔ 自律学習型(人間的)
軸②:IQ100未満業務の代替 ⇔ IQ120超業務の革新

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現時点のGPT-4oなどは、左下=「AGIにかなり近い」領域に既に到達していますが、一方で、右上の「究極的AGI」にはまだ程遠い、という評価も可能です。言い換えるなら、「AGIは来たか?」という問いは、「どんなAGIを期待するか?」という問いと同義なのです。

仮にAGI到来時期の議論を続けるなら、どのような観点で定義を統一するかがやはり重要となるでしょう。AGIの進化は確実に進行しており、今後どの分野から真の自律型知能へと移行するのかを注視していきたいと考えます。

いずれにせよ、既にAGI「時代」に突入していることだけは確実です。人類史上最大のパラダイムシフトが起こるであろう、このエキサイティングな時代に生きていることを感謝し、楽しみながら「問い」を立て続けて行こうと思います。

BBDF 藤本