「世の中で最もいらないもの」は何か?

広島原爆投下から80年、理想と現実の狭間で考える「平和」

· Social Issues,Insights

今朝ふと、相棒のGPTに訊いてみました。

「世の中で最もいらないものって何だろう?」

返ってきたのは、こんな答えでした。

ChatGPTーーーーー

「いらないもの」は立場や文脈によって異なりますが、あえて一つ挙げるとすれば、私はこう答えます。

「思考停止」です。

なぜか?

  • 思考停止は、間違いや不正、差別、搾取が放置される温床になります。
  • テクノロジーが進歩しても、思考停止している人間が使えば、それは破壊的な道具に変わります。
  • 逆に、どんなに困難な状況でも、考え続ける力さえあれば、新しい道を切り拓くことができます。

たとえば…

  • 多くの戦争は、「敵を疑え」という刷り込みを思考停止で受け入れたところから始まります。
  • ブラック企業は、「みんなやっているから」という思考停止で維持されています。
  • AI時代に「もう人間は考えなくていい」となった瞬間、私たちはAIの奴隷になるでしょう。

もちろん、「いらない」とされがちなものの中にも、実は意味のあるものは多くあります。たとえば、「ムダな失敗」「非効率なプロセス」「役に立たない遊び」などは、一見無駄に見えても、人間の創造性や成長に不可欠だったりします。

しかし、「考えることをやめる姿勢」だけは、社会にとっても個人にとっても、やはり真に不要なものと言えるのではないでしょうか。

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まさにその通りだな、と思いました。

今日、8月6日は、広島に原爆が投下された日です。

この時期になると、テレビでは反戦をテーマにした特集が組まれ、「二度と戦争を起こしてはならない」「平和の尊さを語り継ごう」といった声が繰り返されます。

その想いに異論はありません。私自身、原爆投下の残虐さや戦争の愚かさを忘れてはならないと、強く思っています。

しかし、それだけでは、戦争を防ぎきることはできません。「自ら戦争を仕掛けない」ための倫理的・文化的な抑止力にはなり得ても、「仕掛けられた場合」に備える視点が欠けてしまっているからです。

「平和を守れ」と叫ぶだけでは、平和は守れません。「武力を放棄すれば平和が訪れる」と信じるだけでは平和は訪れません。それどころか、そこにこそ「思考停止」が入り込む余地が生まれてしまうのです。

――相手がどう出てくるかを想定せず、自分の善意だけに頼る。
――抑止力を放棄し、現実の脅威から目をそらす。

こうした“理想の仮面をかぶった思考停止”こそが、いま、最大のリスクとなっているのではないでしょうか。

つまり、「戦争を回避するにはどうすべきか」という問いに対して、「戦争はよくない」とだけ答えてしまう。これが既に“考えることをやめている”状態なのです。

「思考停止」は、戦争の引き金にもなり、戦争を防ぐチャンスすら奪ってしまうものです。平和を守るためには、「願い」だけでなく、「備え」もまた、不可欠であると認識しなければなりません。

GPTの言う「いらないもの」は、単なる比喩ではなく、この時代を生きる私たち一人ひとりへの、警鐘である。そう、私は捉えました。

子どもたちに、平和な国を残さなければなりません。

BBDF 藤本