楽しみに観ていたNHKの連続ドラマ『舟を編む ~私、辞書つくります~』(再放送)が、昨日遂に最終回を迎えました。
現在、完全に「舟編むロス」状態に突入しております(笑)。
本作は、三浦しをんさんのベストセラー小説(2011年刊)を原作とするもので、2013年には実写映画化、2016年にはTVアニメ化・漫画化もされています(いずれも未読・未見です。これからの楽しみです!)。
これからオンデマンドで視聴される方もいらっしゃるでしょうから、内容の詳細には触れませんが、本作は一見時代遅れにも見える「紙の辞書」の編纂に携わる人々を描いたドラマです。「言葉」と真摯に向き合う彼らの姿を通して、「言葉を理解すること」「適切に使うこと」の重要性を、丁寧かつ力強く伝えてくれます。
全編を通して描かれるのは、「言葉」が持つ“本当の力”。人と人を繋ぎ、大切な誰かを守るという希望です。同時にこの作品は、デジタルが主流となった現代社会において、アナログだからこそ宿る「意味」や「本質」をも問いかけてきます。
キャスト陣の演技も素晴らしいものでした。特に第1話、主演の池田エライザさんが見せた、「泣く」演技。嘆息(たんそく)、涕泣(ていきゅう)、嗚咽(おえつ)、慟哭(どうこく)と感情が推移していく、ワンカットのシーンは圧巻です。「“泣く”という行為に、こんなにも種類があるのか!」と驚かされると同時に、確実にあなたもエライザさんのファンになるはずです。W主演のRADWIMPS・野田洋次郎さんの演技も、非常に独特かつ印象深いものでした。
この数年、「言葉」があまりにも粗雑に扱われていると感じる場面が増えてはいないでしょうか?SNSには罵倒や揶揄が溢れ、短文に慣れすぎた中では語彙が育つ余地も乏しくなっています。更に、「雰囲気」に踊っていればなんとかなっていたバブル世代(=今の大人世代)には「言わなくてもわかるだろ」「見て覚えろ」といった、“言葉を省略する美学”的なものが根強く残っており、これこそが、若者との断絶の大きな一因となっているように考えます。「このおっさん何言ってるか全然わかんね」という感覚を生む構造的背景が、ここにあるのです。
先日、元電通の澤田智洋さんから、興味深いことを教えていただきました。澤田さんによれば、「言葉」には、以下の3つの種類しか存在しないそうです。
1.借り物の言葉
2.置き物の言葉
3.生き物の言葉
そこに実体験が伴わない限り、「言葉」が「生き物の言葉(3)」になることは決してありません。AIがもっともらしい文章をいくらでも量産してくれる時代、1や2の言葉はますます氾濫して行くでしょう。これからは「どんな言葉か」ではなく、「誰がその言葉を発したのか」が重要視されるようになるはずです。
つまり、原体験(価値観や行動パターンのベースとなる、五感を通じた実体験)を伴わない言葉では、人の心を動かすことはできないのです。聞きかじり、知ったかぶり、物知りおぢさんたちは、AIネイティブの若者にとって今後ますます意味を持たない存在となっていくでしょう。問われるべきは常に「その言葉に原体験はあるのか?」という一点なのです。
なお、ドラマ版『舟を編む』は、小説や映画版とは異なり、人と人とが物理的距離を余儀なくされた「コロナ禍」の時代背景を踏まえて再構成されています。あの息苦しい期間、確かに「言葉」だけが、人と人をつなぎ、大事な誰かを守っていました。その記憶は、きっと多くの人の中に、原体験として刻まれているはずです。
BBDF 藤本