きっかけは『舟を編む』
先日、NHKで再放送されていたドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』を観て、あらためて「紙の本」の存在感を再認識しました。特に辞書を編むという作業は、文字の意味だけでなく、紙の重みや手触り(ぬめり感)までもが本の一部となる世界です。
私自身、普段はKindleで本を読むことも多いのですが、「なんか紙の本で読んだ方が内容が頭に入りやすい」と感じる瞬間が多いのも事実です。なぜ同じ本なのに、媒体によって理解度に差が出るのでしょうか?
そうした疑問を出発点に、認知科学や教育学の研究を調査してみました。以下にいくつかの代表的な知見をご紹介します。
紙の本は「出来事の順序」を覚えやすい
ノルウェー・スタヴァンゲル大学のアン・マンゲン(Anne Mangen)教授らによる研究では、被験者に同じ物語を紙の本とKindleで読ませ、その後の理解度を比較しました。結果として、物語の出来事の時系列を思い出す課題で、紙の本を読んだグループの方が成績が良かったと報告しています。紙の本では「ページをめくる感覚」「残りの厚み」といった物理的手がかりが、時間的・空間的な記憶を助ける、と結論づけられています。参考リンク
五感を通じた「マルチセンサリー体験」
オックスフォード大学実験心理学のチャールズ・スペンス(Charles Spence)教授は、紙の本が「触覚」「嗅覚」「聴覚」など複数の感覚を刺激することで読書体験を豊かにし、記憶との結びつきを強めると指摘しています。 例えば、紙の匂いやページをめくる音が、単なる情報処理以上の「体験」として脳に刻まれる。中でも「紙の匂い」が記憶に強く結びつく例が特に印象的です。参考リンク
印刷テキストは「深い理解」に強い
メタ分析でも、紙の本の方がデジタルよりも読解力が優れる傾向が繰り返し示されています。例えば、印刷された本は注意の集中や深い処理を促し、「スクリーン劣位効果」とも言われる現象があるとされます。印刷本を読む際には感情や空間認知に関わる脳の領域(内側前頭前野、帯状皮質、頭頂皮質など)がより活発に働くという話もあります。参考リンク
スペイン・セビリア大学教育発達心理学のパブロ・デルガド(Pablo DelgadoDelgado)准教授らが行った国際的調査では、電子媒体よりも印刷本で読んだ方が読解テストの成績が高いと報告されました。特に「深い読み」(精読や批判的理解)が必要な場合、紙の方が有利。参考リンク
若年層と大人での差
コロンビア大学の研究では、10〜12歳の子どもの読解について、紙の本の方が画面より深い理解を促すという脳波(脳活動)を伴う実験結果が報告されています。参考リンク
また、米メリーランド大教育学部人間発達・定量的方法論のローレン・シンガー・トラクマン(Lauren Singer Trakhman)臨床准教授らの研究では、小中高生において紙の本での読解の方が明らかに優れており、電子だと「細部理解」が弱まる傾向があるとされています。大学生・大人は、子ども・若年層に比べて差は縮まるものの、やはり紙の方が「記憶保持」「深い読解」で優位(大人はメモやハイライトなどの戦略を活用することで、ある程度スクリーン読書の弱点を補えるとされています)。参考リンク
スマホ・タブレットとの比較
北京師範大学のGuang Chen教授らの実験によると、スマホは画面が小さいため「断片的理解」に偏りやすく、読解テストの成績が低下するという結果が出ています。タブレットは比較的紙に近い読書が可能ですが、ライトによる目の疲労やリンク依存が集中を妨げる場合があると指摘しています。参考リンク
論点まとめ
以上のように、私が「紙の本の方が頭に入りやすい」と感じた直感は、科学的にも裏付けられていることがわかりました。
- 紙の本は「物理的な手がかり」により記憶を助ける。
- 五感を通じた読書体験が「深い理解」を促す。
- 若年層ほど紙の優位性が大きい。
- スマホは特に不利で、タブレットやKindle専用端末は中間的。
デジタルと紙、どう使い分けるか?
では、私たちはどのように紙とデジタルを使い分ければよいのでしょうか。研究知見を踏まえると、次のような戦略が考えられます。
○紙で読むのが望ましい場面
- 精神的に深く理解したい専門書や哲学書、文学作品
- 記憶に残したい学習教材や試験勉強
- 長い物語のストーリーや時間的流れを追う読書
○デジタルで十分な場面
- 移動中に軽く読むビジネス書・実用書
- 断片的に検索・参照する資料や論文PDF
- 文字サイズ調整や検索機能を活用したい場合
結論として、便利さではデジタル読書に軍配が上がる一方で、「深く理解したい本」や「血肉にしたい本」は紙で読んでこそ価値があるということが、研究によっても裏付けられていました。この切り分けが、最も科学的に理にかなっていると言えるでしょう。
そして、このことは読書に限った話ではありません。音楽を聴く場合にも、アナログ・レコードとデジタル音源とで体験の質が異なるのと全く同じです。レコード特有の温かみや手触り、ジャケット・アートの存在感、ヴァイナルの匂いが記憶に残るように、紙の本もまた「五感を通じた体験」として、私たちの心に深く刻まれていくのです。
BBDF 藤本