2025年度の最低賃金の全国加重平均が過去最高の 時給1,121円 となる見通しです(参考リンク:日本経済新聞)。初めて全47都道府県で時給1,000円を超えることになり、ニュースとしては華やかに報じられました。表面上は「労働者の生活向上」というポジティブな側面が強調されがちです。
しかし一方で、その裏には厳しい現実があります。中小企業にとっては人件費増によるコスト圧迫が深刻で、実際に「賃上げ倒産」が増加しつつあります。「人手不足」を理由とした倒産件数も年間300件台に乗る勢いです(参考リンク:東京商工リサーチ)。
更に、世の中にはこんな声すら存在します。
「そんな金も払えないなら倒産すればいい。経営する資格がない。」
一見もっともらしく聞こえるかもしれませんが、私はこのような発想に大きな危うさを感じます。なぜなら、この視点は「数値」でしか経済を見ていないからです。
「数値中心の語り」の限界
これまでの「経済」や「経営」の言葉は、どうしても 数値で測れるもの=成果 に寄りがちでした。「何人採用した」「売上が何%伸びた」「離職率が何%改善した」といった数値ばかりが並ぶのです。勿論、数値は必要です。客観的に現状を把握し、比較し、政策や施策の成果を測るためには欠かせないものですから。
しかし、数値だけに頼った語りには重大な欠陥があります。
例えば「採用100人」という目標が達成されたとしましょう。その数字の背後には、地方から挑戦のために上京した若者や、子育てと仕事を両立しながらキャリアを築こうとする人、あるいは新しい分野に飛び込むためにリスキリングを決意した中年層など、100通りの人生があるのです。それをすべて「100」という数値に還元してしまうことで、個々の物語は消えてしまいます。
同様に「離職率10%改善」と報告されたときも、それは単なるパーセンテージの変化に過ぎません。実際には「夢と現実のギャップに悩み転職した人」や「家族の事情で新たな環境を選んだ人」など、すべての数字に人間の物語が存在します。
数値だけを追いかける議論は、こうした一人ひとりの人生を無視する危うさを内包しているのです。
日本企業の国際競争力低下の現状
思えば、数値のみで経済や経営を語ってきてしまったことこそが、現在の日本企業の持続的成長力の喪失を招いてしまったのではないでしょうか。日本企業の凋落を示すデータは、「労働生産性」「世界時価総額」「賃金停滞」「研究開発の成果不足」「教育投資の低さ」といった形で現れています。
1.労働生産性の国際順位
例えば、OECDによると、日本の労働生産性は主要先進国で最下位クラスです。2023年時点でOECD加盟38カ国中29位、G7内でも最下位級の水準。「効率化」の数値を追ってきたはずなのに、長期的には改善していません。これは、数値偏重の「短期的効率」経営が、長期的生産性の低迷を招いた証左と言えるでしょう。(参考リンク:日本生産性本部)
2.世界時価総額ランキングの低下
1989年、日本企業は世界時価総額トップ50のうち32社を占めていました。しかし2024年にランクインしているのは、トヨタ1社のみです。「売上規模」「シェア」といった数値を守ることに注力した結果、革新や新規事業に遅れてしまったことが推察されます。「規模の数値」だけを追う経営が、持続的競争力を削いでしまったのです。(参考リンク:DIAMOND online)
3.賃金水準の停滞
前述の通り、ここにきてようやく改善の兆しが見えてきてはいますが、日本の実質賃金は30年間ほぼ横ばいで、OECD平均を大きく下回っています。「人件費はコスト」という発想で抑制してきた結果、消費市場も縮小し、企業自身の成長余力を奪ったのです。「人をコストとして数値管理」したことが、自国市場の衰退を招いたと言えます。(出典:厚生労働省 賃金構造基本統計調査)
4.研究開発・イノベーション指標
日本の研究開発費総額は依然世界上位ですが、論文引用数や特許の国際的影響力は低下しています。「R&D投資額」という数値は維持していても、質的な成果=人や社会に届く価値につながっていないのです。「投資額」という数値管理ではイノベーションは生まれないことがわかります。(出典:科学技術・学術政策研究所 科学技術指標、特許影響力ランキングなど)
5.人的資本投資の遅れ
日本企業の「従業員教育訓練費」はGDP比で先進国最低水準です。「教育投資額が小さい=人材育成を軽視」してきた結果、DX・AI活用などで人材不足に直面しています。「短期利益率」という数値を守った結果、人材という“見えない資産”を犠牲にしてしまったことがわかります。(参考リンク:内閣府 経済財政諮問会議資料)
これらはいずれも「数値で語ること」に囚われてきた結果と言えます。「シェア維持」という数値にこだわって新しい価値創造を怠り、「人件費削減」という数値を守るあまり、人材を育てず未来を失った。「投資額」という数値だけを誇示し、本当に意味ある成果を生み出せなかった。
つまり、日本企業の地位の低下は「数値経営」の結果そのものなのです。
今後必要になる「数値を超えた視点」
これからの日本政府や企業には、以下のような視点を持ち、「数値政策」「数値経営」から脱却することが求められます。
1.「人間中心経済」
経済の目標を「GDPを伸ばす」ではなく、「人が尊厳を持って生きられる社会にする」と再定義する(人的資本経営やウェルビーイング経営)。
2.「数値+物語」モデル
指標を示すだけでなく、その背後にあるストーリーを語ることが、企業や政策の正当性を高める。
3.「効率」から「意味」へのシフト
これからの組織に求められるのは「どれだけ効率的か」ではなく、「どれだけ人々に意味をもたらしたか」 という観点。その意味づけを可視化するのが経営者・人事の大切な役割になる。
「人間中心の語り」とは
つまり、これからの時代に求められるのは「人間中心の語り」です。※これは、決して数値を否定することではありません。数値を 「全体像を把握する骨格」 として捉え、その上で 「個々の人生を描き出す血肉」 を与えることです。
- 「最低賃金1,121円に上昇」だけでなく、そのおかげで安心して子育てを続けられる家庭がある、という物語を伝える。
- 「100人採用」だけでなく、その中で地方から上京し挑戦を始めた若者や、新しい人生を歩み始めた中年層がいる、というストーリーを描く。
- 「離職率改善」だけでなく、離職後に自分らしいキャリアを築いた人がいる、という成果を示す。
つまり、「数値で測り、物語で伝える」 という二重構造が、今後は必要なのです。「数」で全体像を、「物語」で個の人生を伝え、それぞれが補完する形です。
人生を支え、意味づけ、豊かにするとは
アトキンソン氏のように「生産性の低い中小企業は淘汰すべきだ」とする議論は、一面の真理を突いています。しかし、もしそれが「効率の悪い企業は消えろ」とだけ響くなら、そこには「人間の生活」より「数値効率」を優先する危うさがあります。
企業の存続・淘汰を論じる時でも、「そこで働く人がどんな生活を送り、何を失い、何を得るのか」まで想像しなければ、単なる机上の議論に終わってしまいます。
これからの日本に必要なのは、経済を「数字の集合体」ではなく「人間の営み」として捉えることです。人口減少社会の中で、働く人一人ひとりの人生をどう支え、意味づけ、豊かにしていけるか。ここにこそ、企業経営も政策も立ち戻るべきではないでしょうか。
経済を、統計の集合ではなく、人間の営みの総和と捉える
「数値中心の語り」から「人間中心の語り」へ。この転換は、単なる修辞の工夫ではなく、これからの経済のあり方を根本から問い直す挑戦です。
最低賃金の数字の背後にも、雇用統計のパーセンテージの背後にも、必ず人の生活があります。今、私たちが語るべきは、まさにその「数の背景にある人生」なのです。
経済とは、統計の集合ではなく、人間の営みの総和である。忘れてはなりません。
BBDF 藤本