VUCAではもう足りない:混沌時代の新フレーム<BANI>

「確実性は致命的、明確さは変革をもたらす」

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現代社会において、人々は方向感覚を失ってしまっており、様々なシステムが機能不全に陥りつつあるように見えます。急激なテクノロジー進化に企業は追いつけず、教育制度も更新が間に合わず、個人は情報洪水に溺れている……そんな“羅針盤を失った社会”が今の私たちです。このような状況下で「全体像を理解すること」は、非常に困難ですが、同時に極めて重要になります。「全体像の把握は困難だ」、と思った瞬間、多くの人は「経路依存」に逃げてしまいがちです。心の底ではそれ(過去の成功体験への依存)がもはや機能しないことを、薄々認識しているにも関わらず。(ブログ内関連リンク:「人間の『経路依存性』とAIの『一貫性バイアス』」

経路依存性に陥っている限り、物事は何も好転することなどなく、むしろ悪化の一途を辿ります。特に企業の経営層は、逃げることなく「今(社内外で)何が起こっているのか?」を、正しく理解することから始めなければなりません(少なくともそうするよう努める義務があります)。正しい現状(問題)認識なくして、打開策の創出などあり得ませんから。

<VUCA>という概念について

現代の、先の読めない世の中を表す言葉として、私たちは長く<VUCA>というフレームを利用してきました。「変動性(Volatility)」、「不確実性(Uncertainty)」、「複雑性(Complexity)」、「曖昧性(Ambiguity)」の頭字語であるこの概念は、元々アメリカの陸軍大学院で冷戦後の安全保障環境を説明するために使われたものですが、2000年代に入りビジネス領域でも「予測困難な環境」を表すキーワードとして一般化し、既に日本でも定着しています。

しかし、この<VUCA>フレームは、あくまで外部環境の客観的な混乱を捉えるためのものであり、人間の主観や感情を捉えきれるものではありません。つまり、「分析フレーム」としては有効ですが、「対応フレーム」としては不十分なものなのです。これでは、特に、予測不能な事象が「常態化」してしまった現在(2020年以降)においては、不足感が否めません。<VUCA>が登場した冷戦後の“不安定さ”と比べても、2020年以降のパンデミックや生成AIの急拡大は、“想定外が常態化した時代”を私たちに突きつけています。複雑性や曖昧性が深まりすぎていて、<VUCA>では行動指針に転化しづらいのです。

「不確実性に備える」だけでは間に合わない(想定外が多すぎて、備えきれない)ですし、「複雑性を整理する」だけでは行動に移せません(因果関係が非線形で、分析が行動につながらない)。「曖昧性を解釈する」だけでは、人が動きません(意味が分かっても、感情がついてこない)。

<BANI>という新フレーム

そこで登場して来たのが、アメリカの未来学者、ジャメイ・カシオ(Jamais Cascio)氏が2018年に構築し、2020年にMedium上の記事「Facing the Age of Chaos」で公表した新しい概念、<BANI>です。「バニ」と読むこの新概念が、現代の“意味不明な世界”を理解する“意味づけのフレームワーク”として、注目を集めています。

<BANI>は、人間の主観的・心理的な不安定性を捉える概念であり、<VUCA>の限界を見事に補うものです。それは、以下の4つの要素で構成されてます。

  • 脆い(Brittle):一見強固でも衝撃に弱い
  • 不安な(Anxious):情報過多や予測不能による心理的ストレス
  • 非線形な(Nonlinear):小さな要因が大きな結果を生む
  • 理解不能な(Incomprehensible):複雑すぎて理解が追いつかない

人間の主観や感情を起点にしたフレーム

ここでひとつおかしなことに気づきませんでしたか?<VUCA>が「変動性」「不確実性」など、名詞で表していたのに対し、<BANI>はすべて形容詞(または形容動詞)で構成されているのです。

実は、ココこそが重要なポイントだと、私は考えています。今回初めて気づかされたのですが、名詞にすると分析や構造の話には向くのですが、感情や反応のニュアンスが薄れてしまうのです。<BANI>は「何がどうなっているか」ではなく、「どう感じるか」「どう見えるか」を示しています。「壊れやすい(Brittle)」「不安な(Anxious)」といった、人間が感じる状態や性質、反応を表すためには、形容詞で示すしかないのです。

「壊れやすい」と感じるのは人間であり、「不安だ」と感じるのも人間。「非線形だ」「理解不能だ」と判断するのも人間です。<BANI>は人間の主観や感情を起点にした概念なのです。例えばこれを「脆弱性(Fragility)」、「不安(Anxiety)」、「非線形性(Nonlinearity)」、「不可解性(Incomprehensibility)」などと名詞で構成した場合、構造的な話に寄り過ぎてしまうでしょう。心理学的な症状の話にも聞こえてしまうかもしれません。名詞にすると分析や構造の話には向くでしょうが、感情や反応のニュアンスが薄れてしまうのです。

この言語設計の違いは、組織開発や人材育成の「問いの立て方」にも影響すると考えています。例えば「不安をどう減らすか?」と「不安な状態にある人にどう寄り添うか?」では、アプローチがまったく異なってきますから。

提唱者であるカシオ氏は、以下のように述べています。

This is BANI. It illuminates systems, but it operates at a human level. It is not a technical analysis; it’s visceral and experiential. But it serves to depict the nature of the moment, and moments to come, in a way that seems to resonate for a great many people around the world.

これが<BANI>です。システムを解明する概念ですが、作用するのは人間レベルです。技術的な分析ではなく、本能的で経験的なものです。しかし、世界中の多くの人々の心に響くような方法で、今この瞬間、そしてこれから起こる瞬間の本質を描写します。

混沌の時代の行動指針<ポジティブBANI(BANI+)>

形容詞は「状態」を示すからこそ、「じゃあどうする?」という行動のきっかけになりやすくなります。例えば「不安な状況」なら「安心をどう作るか?」という問いが生まれます。

<BANI>を起点とする行動指針とも言えるものが<ポジティブBANI(BANI+)>と呼ばれるものです。昨年(2024年)、カシオ氏とボブ・ヨハンセン(Bob Johansen)氏の共同作業により開発されました。まず<BANI>フレームにより、システムの混乱を検証し理解する。そして<BANI+>により、更に個人的な視点を取り入れ、崩壊しつつある世界において未来に立ち向かうために、私たち自身や組織、コミュニティを強化することを可能にする、という流れになります。この<BANI+>は、<BANI>の各要素に対応する形で、以下のように整理できます。

  • 脆い(Brittle)→ 柔軟さ(Bendable)
  • 不安な(Anxiety)→ 気配りのある(Attentive)
  • 非線形な(Nonlinear)→ 神経の柔軟な(Neuroflexible)
  • 理解不能な(ncomprehensible)→ 相互接続の(Interconnected)

この<BANI+>は、個人や組織が危機に明確に対応できるようにするための方法と言えます。

○柔軟さ(Bendable)

柔軟性、適応力、そして何よりレジリエンス(回復力)を重視したアプローチです。柔軟性とは、私たちの生活や仕事のあり方を再考することを意味します。カシオ氏は例として、パンデミックの加速に伴い、サービスを迅速にバーチャルに接続させ、より患者中心のサービスへと進化させた遠隔医療の例を挙げています。

○気配りのある(Attentive)

共感を促し、心理的安全性を生み出すことで、自分自身と他者の不安を積極的に認識し、対応するアプローチです。他者が直面している課題の種類や規模を理解することが求められます。気配りには、コミュニケーションと全体像への意識が必要です。

○神経の柔軟な(Neuroflexible)

変化する状況を認識し、行動や選択を臨機応変に調整する能力、つまり即興能力から生まれるアプローチです。経路依存性からの脱却です。予期せぬ状況を認識し、計画的な対応を放棄する能力。カシオ氏は、1983年に世界戦争の危機を回避したソ連のミサイル防衛将校(軍の規則を破り正しい判断をした)を例に挙げています。

○相互接続の(Interconnected)

視点や文化など、多様な知性を持つ人々のネットワークを通じて相互にコミュニケーションを図るアプローチです。高度に差別化された視点を持つ少人数のチームは、同じ考えを持つ大勢の人々よりも有益であり、カシオ氏は、「複数の視点を持つことで、理解しがたい問題にもよりうまく対処できる」としています。

どうでしょうか。内容もそうですが、こちらの<BANI+>も見事に同様のアクロニム化がされている点が、見事としか言いようがありません。

<BANI+>を実践していく

<VUCA>が「外の世界の混乱」を示すなら、<BANI>は「その世界を生きる人間の内面の混乱」を示し、<BANI+>がそれらへの対処法を示しています。つまり、<VUCA>が<BANI>を引き起こし、<BANI>と<BANI+>が<VUCA>を加速させる、というフィードバックループが今の時代の本質なのかもしれません。

カシオ氏はこう述べています。

In a BANI Future, certainty is deadly, but clarity is transformative. Think of Positive BANI as an engine of clarity.

<BANI>の未来において、確実性は致命的ですが、明確さは変革をもたらします。<BANI+>を、明確さのエンジンと考えましょう。

カシオ氏の考えは、来月発売される拙著『HR再起動』で触れている、「意味生成力」や「人間中心の戦略」に見事に合致するものです。<VUCA>の分析だけではなく、<BANI>の感覚に寄り添うことで、人事戦略のOSそのものをアップデートできると私は確信しています。名詞で語られたフレームは“組織の診断”には役立ちますが、形容詞で語られたフレームは“人を動かす問い”を生みます。だからこそ<BANI>は、例えばマネジメントにも効くのだと考えています。

  • Bendable(柔軟さ):私たちの働き方はどこまで柔軟に設計し直せるのか?
  • Attentive(気配りのある):上司として部下の「不安」をどのように可視化できているか?
  • Neuroflexible(神経の柔軟な):経営計画を守ることと破ることの境界線はどこにあるのか?
  • Interconnected(相互接続の):誰と新しいネットワークを築けば理解不能な課題を突破できるか?

これからも「問い」を立て続け、「問いを立て続ける」ことのサポートをして行きたいと考えています。

まずは“自分が不安をどう感じているか”を言語化することから始めましょう。それが、混沌の時代に明確さを生み出す最初の一歩になります。

ちなみに、カシオ氏による初の<BANI>実践書『Navigating the Age of Chaos: A Sense-Making Guide to a BANI World That Doesn't Make Sense』が、『HR再起動』のちょうど一週間後、10月28日にアメリカで発売されるそうです(Amazonリンク)。一方的に縁を感じてしまっているのですが……おそらくは気のせいでしょう(笑)。

BBDF 藤本