本日(9月24日)、米中首脳会談が行われる。個人的に注目しているテーマはAIだ。似て非なる「リスク」に直面している両国の間で、どのような合意がなされるのか、もしくはなされないのか。会談の結果を待ちたい。
9月8日のコクソンによる告発・警告に始まった一連の「AIリスク論争」において、最も印象深かったのは英国のチャールズ国王による以下の発言(9月17日)だ。
“we are a part of Nature, not apart from it.”
——私たちはNatureの一部にすぎず、そこから切り離された存在ではない。
この発言の考察については9月21日のものをはじめとするいくつかの論考で取り上げたが、今日はもう一歩踏み込んで、王室・皇室とその自然重視のスタンスがどこから来るものなのか、そしてそれが意味するところと我々への影響まで考えてみたい(長文になるので、時間のある時にでもお読みいただけると幸いです)。
| 各国の皇室・王室と「自然」
〇 英国
先の言葉は、チャールズ3世国王が提唱する「ハーモニー(Harmony)の思想」に基づいている。「人間は自然の一部であり、万物は相互に繋がり合っている」という世界観をベースとし、近代社会が失ってしまった自然や精神世界との調和(ハーモニー)を取り戻そうとする哲学だ。
皇太子時代から50年以上にわたり行ってきた国王の環境保護活動や思索の集大成と言えるものであり、2010年の著書『Harmony: A New Way of Looking at Our World』で理論化・発表されている(日本語翻訳版は出ていない)。
この思想の核心となっているのが、国王の「人間が自然と乖離している」という危機感だ。国王は、産業革命以降の現代社会が「自然をコントロール可能なもの」とみなすようになり、人間と自然を切り離してしまったことが、気候変動や環境破壊の根本原因であると指摘。「自然に抗うのではなく、自然とともに働く」という姿勢(エコロジー)を重視し、自らの領地で長年実施している有機農業や、環境に配慮した都市計画の基盤となっている。
その上で国王は、異なる宗教や文化であっても、その根底には「神聖な創造物(地球や生命)を敬う」という普遍的な価値観が共有されていると考えている。因むと、(自身がイングランド国教会のトップでありながら)イスラム教の自然観を高く評価したり、戴冠式に他宗教の指導者を招いたりもしている。
英国はイングランド国教会(プロテスタントの一派)を公式の信仰としており、西欧の一神教の伝統に立ちつつも、「自然を畏敬し、そこに聖なるものを見る」というスタンスなのだ。
この精神性は、ある国の伝統的な自然信仰に非常に近いような気がする。そう、日本だ。
〇 日本
日本において皇室が守り続けている「皇室神道」は、未開の自然崇拝(アニミズム)そのものではなく、歴史を経て高度に体系化された神道の形をとっている。
神道の起源は、日本古来の自然信仰や八百万(やおよろず)の神への崇拝にある。山や太陽、風雨など、森羅万象に神聖な存在を見出す感覚は、今も皇室の伝統の根底に流れるものだ。 皇室神道の最大の特徴は、太陽神の化身とされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)を皇室の祖神(先祖)として仰いでいる点だ。そのため、純粋な自然物への信仰というよりも、「祖先崇拝」としての性格が非常に強くなっている。
宮中三殿などでは年間を通じて多くの「宮中祭祀」が執り行われるが、例えば「新嘗祭(にいなめさい)」などは、自然の恵み(五穀豊穣)と国家・国民の安寧を神に祈る象徴的な儀礼と言える。
チャールズ国王の「ハーモニーの思想」のように、独自の体系的な思想世界を展開している君主は稀だが、「自然への畏敬」「環境保護」「人間と自然の調和」という、共通する価値観を実践している王室は他にも存在する。
〇 北欧
その代表格がノルウェー王室だ。ノルウェーには「フリルフスリフ(Friluftsliv:自然の中で生きる)」という、自然と一体になって暮らすことを善とする独自の国民的哲学があり、ノルウェー王室はこの精神を体現している。自然を深く愛し、先日崩御した、ハラルド5世。彼はWWF(世界自然保護基金)ノルウェーの初代総裁を務めたほか、2013年にはアマゾンの熱帯雨林でヤノマミ族という先住民族と4日間寝食を共にしている。その際に語った「自然と完全に調和して生きているのは、いわゆる文明人ではなく彼らだ」という言葉は、チャールズ国王のハーモニー思想と完全にシンクロする。新たに国王に即位したホーコン8世も、気候変動対策や海洋環境の保護に熱心で、化学技術や持続可能なビジネスと環境保護の調和を現実的に模索している。
また、スウェーデンのヴィクトリア皇太子はハイキングを通じて自然の重要性を訴え、気候変動の科学的アプローチにも熱心だ。デンマーク王室もグリーンエネルギーの推進に積極的なことで知られている。
〇 ブータン
ヨーロッパ以外でチャールズ国王の思想に最も近いと思われるのが、ブータンだ。伝統的なチベット仏教の価値観(万物に命があり繋がっている、とする思想)をベースに、憲法で「国土の60%以上を森林に保つ」とまで定めている。経済開発よりも「自然環境の保護」と「精神的な豊かさ」の調和を国是としており、チャールズ国王もその持続可能な開発モデルを高く評価していると言われる。
| 皇室や王室が自然を重視する理由
このように、英国に限らず、皇室や王室が自然を重視するスタンスであることには、理由があるはずだ。私はここに一つの仮説を置きたい。世襲王室という制度が、政治システムの中に「自分の死後」を前提とした時間軸を埋め込む装置として機能しうるのではないか、というものだ。近代以降、あるいは生き残りに成功した王室・君主制においては、永続的な血統の維持(サステナビリティ)を追求せざるを得なかった結果として、自然との共生や生態系の保持が重要な統治イデオロギーとして洗練されていったのではないだろうか。
一般の政治家や企業などは、選挙や任期、四半期決算に基づき、数年~数十年単位でしか物事を考えない。しかし王室・皇室は「数百~数千年」という超長期的な時間軸の中に生き、世代交代を連続させている。
そこにおいて、自然のサイクルと王室・皇室の存続を同期させる必要が出てくる。森が育ち、気候が安定し、生態系が維持されるには、数百年単位の時間が必要となる。数世代、数十世代まで血統を存続させるために、短絡的な略奪や開発では、到底持たない。国土や自然、水源、農業といった周囲の環境が荒廃してしまえば、どれほど強固な権力や血統であっても社会基盤ごと崩壊してしまうからだ。つまり「血統を守る」という目的そのものが、環境の持続性(サステナビリティ)を大前提とするものであり、切っても切れない関係にあるのだ。
多くの王室・皇室では、その血統の始まり(つまり、正当性)を自然そのものや自然の神に求めている。日本の皇祖神である天照大御神は「太陽」そのものだし、西欧の王室はキリスト教的文脈であっても、王は「神が創りたもうた自然や地球のスチュワードシップ」としての役割を与えられていると考える。日本において自然という太陽の恵みが存続することと、その子孫である天皇系が存続することは同義であり、西欧において自然をないがしろにすることは神への反逆となる(血統の正当性を失うことにつながる)のだ。
そして、血統を何百年単位で維持するためには、外部(国民・周囲の環境)と決定的な対立を起こさないという意味での「調和(ハーモニー)」が不可欠だ。ここにおいては「傲慢さの排除」こそが重要になる。人間が自然をコントロールできると過信する近代の人間中心主義は、王室から見れば「ここ最近の、一時的な、人間の思い上がり」に過ぎない。自然への畏敬の念を持ち続けることは、王室が特権に溺れず、謙虚であり続けるための精神的ブレーキとなる。逆に王室が自然や環境を率先して保持しようとすることで、国民全体からの広範なソフトパワーを得ることができ、結果的に革命などの急進的行為を免れることにつながる。血統を持続させるための最強の生存戦略がここにある。
つまり、王室や皇室の本質は、人間社会だけでなく大自然まで含めた「大きなエコシステム」を率先して保持することで、その永続性を担保することができると考える。チャールズ国王のハーモニー思想も、日本の皇室の宮中祭祀も、表現方法は違えど、この共通の生存本能と哲学に根ざしていると言える。
|「持続性不在」という根本的な病理
逆に、伝統的な王室や皇室を持たず、数年単位の短期利益や権力の維持のみを追求するシステム(全体主義・独裁国家・過度な短期資本主義に傾倒した国家など)では、時間軸が極めて短くなるため、周囲や自然との調和という発想そのものが抜け落ちやすいのではないだろうか。そして結果として国内の環境破壊や外部への侵略戦争へと走りやすくなるものと考えられる。
前述した通り、王室や皇室は「後の世代に国と血統をどう引き継ぐか」という、いわば「無限の時間軸(縦のつながり)」の中に生きている。一方、短期利益を追求する独裁者や数年単位の任期しかない権力者は、「自分が権力を握っている期間(横の時間軸)」にしか、基本的に関心がなくなる。血統による自動的な正統性がないため、「今、成果を出していること(経済成長、領土拡大)」を国民に示し続けなければならないのだ。
自分の代で利益を最大化し、権力を誇示しようとすると、何が起こるか?
国内の自然資源を枯渇するまで収奪し、他国の領土や資源を奪う「侵略戦争」という手段を合理化してしまうことが多々ある。彼らにとって、数百年後の地球環境や他国の存続はどうでもよいことだからだ。
革命や武力によって成立した政権(特に共産主義や全体主義国家)は、自然や伝統に対して謙虚であろうとする(王室・皇室を有する)国家と違い、自然の破壊(克服)や軍事的な成果(勝利)によって自らの正当性を証明しようとする。
生存戦略として敢えて「敵を作り続ける」という、「調和」とは真逆のことも起こる。短期的な利益や権力維持を狙う体制は、「敵(内なるものも、外なるものも)」を作り続けることで自らの求心力を高めようとするのだ。国際社会や隣国との調和を無視し、自国の短期的な覇権のために軍事侵攻を行う国々は、まさに「調和の思想」を失った結果、国際的な孤立と終わりのない対立(破滅への道)を突き進むことになる。
〇 ソ連
かつてソ連では「自然改造計画」を掲げ、アラル海の消滅などの大規模な環境破壊を引き起こした。自然をコントロールし開発することが、国家の偉大さの証明とみなされたからだ。そしてこの「力による支配」という思想は、そのまま対外的な「侵略」へとスライドしていくことになりかねない。自然を征服すべき対象とみなす発想と、外部世界を力によって変更可能な対象とみなす政治思想の間に、共通する世界観があるのではないか。
〇 中華人民共和国
辛亥革命で清朝の帝政を廃止し、後に共産党一党独裁となった中国は、「自然の克服」と「急速な経済・軍事成長」という目に見える短期成果で政権の正統性を証明してきた代表例だ。ソ連同様、毛沢東は「人定勝天(人間の力は天・自然に勝つ)」を掲げ、雀を大量駆除して害虫の大発生を招くなど、自然の生態系を完全に無視した政策で大飢饉を引き起こした。近年では、自国の安全保障と海洋資源(短期利益)確保のため、南シナ海のサンゴ礁を大規模に埋め立てて軍事基地化した。周囲の生態系や隣国との調和を完全に無視したこの行為は、まさに「持続性を持たない権力構造」の典型例と言える。
〇 イラク(サダム・フセイン政権期)
1958年の革命で王政が打倒された後、軍事独裁政権へと移行したイラクは、最高指導者フセインの権力誇示と目先の資源確保のために暴走した。1990年にクウェートに侵略し、翌年退却する際にクウェートの油田に放火し、大量の原油をペルシャ湾に流出させている。海洋生態系を致命的に破壊したこの行為は、国際社会や自然との「調和」という概念が微塵もない、短期的な軍事都合のみで動く政権の恐ろしさを示している。
ここまで考えてくると、重要なのは単に「王がいるか、いないか」という形式的な国家制度の違いではないことがわかる。王室・皇室の本質とは、国家の中に「世襲による超長期的な時間軸」を組み込むことにこそある。選挙で選ばれる政治家は、数年後にはその地位にいないかもしれない。しかし王室・皇室は、自らの代で完結することを前提としていない。親から子へ、子から孫へと受け継がれることそのものが制度の前提となっている。つまり、その存在自体が「自分が死んだ後の国家」を現在の中に組み込んでいるのだ。
そこで以下では、王室・皇室を単なる君主制という政治制度ではなく、国家に「縦の時間軸」を埋め込む世襲的な長期継続装置として捉えてみたい。そうすると、その装置を持たない国家は、何によって「自分たちの死後」まで続く時間軸をつくるのか、という問いが生まれる。その答えの一つが、世代を超えて共有される「ナラティブ」なのではないだろうか。
| 王室がなくても自然を重視する「ナラティブ」
伝統的な王室を持たない国がすべてそうなるかというと、もちろんそうではない。まっとうな民主主義国家は、王室という「縦の時間軸」の代わりとして、憲法や法律、次世代への責任(市民意識)というシステムを構築し、短期的な暴走にブレーキをかけようとしている。
例えばスイスには王室がない。血統護持の代わりに徹底的な直接民主制によってリーダーの短期的暴走を防いでいるし、「国土の森林面積を絶対に減らさない」という極めて厳格な法律を19世紀から維持し続けている。
ニュージーランドは現在も形式上チャールズ3世を国王とする立憲君主国であり、厳密には「王室のない国」ではないが、同時に、マオリの自然観を現代の制度へ取り込み、自然そのものに世代を超えた価値を与える仕組みを発展させている。「カイティアキタンガ(Kaitiakitanga=自然の守護者)」という先住民族マオリの伝統思想を国家の根幹に据え、数百年先を見据えた持続性をシステム化しているのだ。
つまり、自国内に独自の世襲王室がないのに上手くやれている国には、それに代わる「ナラティブ(物語・共通の認識)」があることがわかる。血統という「生身の存在(王・皇族)」を持たない国家が、数年単位の短期主義や暴走に陥らず、数百先を見据えた持続性を保つためには、国民全体が共有し、心から信じられる「時間を超越した強力なナラティブ」が不可欠なのだ。ニュージーランドのナラティブは「カイティアキタンガ」という、血縁的ナラティブだ。彼らは自国内に独自の世襲王室を持つわけではない代わりに、「自然そのものを血のつながった広義のファミリー(王室のようなもの)」としてナラティブ化することで、持続性を担保している。
スイスのナラティブは、自然を独立の砦とするものだろう。スイスにとってのアルプスの山々は、単なる観光地ではなく、周囲の強国(フランスやドイツなど)から自国の直接民主制と独立を守り抜いてきた「天然の要塞」というナラティブを持っている。「山を守ることは、国と自由を守ることと同義である」という歴史的ナラティブが国民に深く根付いているから、短期的な開発利益のために山を壊すことが「×」とされているのだ。
| 短期利益・侵略国家における「ナラティブの歪み」
侵略や環境破壊に走る国々(中国、ロシア、かつてのソ連など)にナラティブがないわけではない。ではなぜこれらの国々は皇室・王室を持つ国々と真逆の方向に走るのだろうか。彼らのナラティブは「持続性や調和」ではなく、「過去の屈辱の雪辱」や「力による帝国の復興」という、極めて戦闘的で自己中心的なナラティブに歪んでしまっているからだと考える。
これらの国家では、「自然を大切にし、周囲と調和する」というナラティブよりも、「敵に勝つ」「自然をねじ伏せて大増産する」「かつての領土を奪還する」といった短期的な成果を急がせるナラティブが選択されているのだ。その結果、血統の持つような「気の長い持続性」は失われ、現政権の延命のための暴走へと突き進むことになる。
ここまでの仮設を統合すると、国家の持続性と自然・周囲との調和に関する、非常に美しい四象限のフレームワークが完成する。横軸は「国家を支える土台(左=王室・血統がある / 右=王室・血統がない)」で、縦軸が「周囲や自然との関係(上=調和・長期持続型 / 下=暴走・短期利益型)」。図に整理すると、血統の護持=持続性と、ナラティブの重要性が、視覚的に理解しやすい気がする。

第1象限:王室あり × 調和型
血統を守るために、本能的に自然や周囲との調和を選択する。永続性の根拠は「血統の護持」
第2象限:王室なし × 調和型
血統の代わりに、時間を超越したナラティブが短期的暴走のブレーキになる。永続性の根拠は「共有された持続的ナラティブ」
第3象限:王室なし × 暴走型
長期的な軸(血統や持続的ナラティブ)がないため、目先の利益や権力維持のために環境破壊や侵略を行う。永続性の根拠は「短期的な成果・力による支配」
第4象限:王室あり × 暴走型
調べる限り、ここに該当する国家は(暴君による一時的な暴走等)きわめて稀。
第4象限(王室があるのに、短期利益のために自然を破壊し侵略に走る)は、歴史の長期的なスパンで見ると極めて稀だ。もし王室がその暴走(短期利益の追求や無謀な侵略)を始めてしまうと、「血統の護持」そのものが不可能になり、政権交代や革命、あるいは国家の崩壊によって、結果的に「王室のない国(第3象限)」へ強制的に移行させられてしまうからだ。
もちろん、1930~40年代の大日本帝国や、第一次世界大戦時のドイツ帝国(ヴィルヘルム2世)といった、君主制でありながら軍部が暴走したような歴史的な例はある。しかし、それらはまさに「持続性・調和」を失ってしまった結果、帝政の廃止や第1象限への移行(再定義)を余儀なくされている。王室や皇室という「ブレーキ」が存在していながら、政治権力や軍部が暴走してしまった瞬間、国家は破滅的な短命ルート(第4象限)に堕ち、結果としてシステムそのものが破壊される(あるいは刷新される)歴史をたどっている。つまり、第4象限は「長く維持することが構造的に不可能な、破滅への過渡期的状態」であるため、持続的な国家のモデルとしては除外する必要があるだろう。
王室があれば暴走しないのではない。王室という長期持続装置が、短期的な政治・軍事システムに従属したとき、第4象限が発生する、ということだ。
|「有難き事を知る」ということ
このように「血統の護持と自然の調和」という視点から日本という国をあらためて見つめ直すと、私たちが当たり前のように暮らしているこの国のあり方が、どれほど奇跡的で貴重なものであるかが深く実感される。
世界を見渡せば、多くの国が短期的利益や権力維持のために血を流し、環境を破壊し、ナラティブの創出に苦心している。そんな中で、日本には「自然を畏敬し、国民の安寧を祈る」という役割を持った血統(皇室)が、伝承上は2600年以上、記録上確認できる範囲でも1500年ほどにわたり、同一の皇統が継承されてきたという圧倒的な事実があるのだ。
これは単に歴史が古いというだけでなく、日本の先人たちが激動の歴史の中で、「敵を作らず、自然や周囲と調和することが、国を最も長く持続させる道である」という生存戦略を、本能的・文化的に選び取り、守り抜いてきた証でもある。
この日本という国の持続性と自然の有難みを知り、“a part of Nature, not apart from it.”の思想を大事にしながら、AI時代における人間の生き方、あり方を考えていきたい。
藤本英樹(BBDF)
