「こんなに頑張ってるのに、なぜ自分の時間は増えないんだろう?」
生産性を上げても、AIを活用しても、なぜか“自由時間”はやってきません。「働き方改革」や「DX」は進んでいるはずなのに、日々の忙しさは変わりません。むしろ、より多くの成果を、より短時間で求められるようになってはいませんか?
生産性が向上しても、人間の自由時間が増えないのはなぜでしょうか。その答えは、「静かな退職」の背景に見え隠れする、ある構造にあります。
「人が少し足りない方が成長する」?資本主義の“自己保存装置”
本日(2025年5月19日)付の産経新聞に、パナソニックHDの楠見社長のこんな発言が掲載されていました。(参照リンク)
「人の数が仕事に対して少し余裕があるとなると生産性を高めるための創意工夫も起きない。人員は少し足りないというぐらいがちょうどよくって、その中で生産性を上げる努力をして人が成長する」
私はこの発言こそが、「なぜ自由時間が増えないのか」の本質を突いていると思います。一見するとマネジメント論の範疇に聞こえますが、実際には“資本の自己増殖性”を人間に転嫁しているにすぎません。
どれだけ生産性を上げても、それが労働者の“ゆとり”や“時間的自由”に還元されることはないのです。むしろ、それを理由に「さらなる人員削減」や「さらなる目標設定」がなされる。
労働者が生み出した余剰価値(例:生成AIにより生まれた効率化)が「自由時間」や「報酬」ではなく、「さらなる人員削減」「さらなる目標設定」へと吸収される。この構造は、カール・マルクスが150年以上前に批判した「資本による時間の略奪」と本質的に変わっていません。
※このように考えるのは、現代資本主義の論理においてはごく自然な帰結でもあります。楠見社長の発言も、その構造の一断面にすぎません。誰か個人の考えが“特殊”なのではなく、私たち自身も知らず知らずのうちにこの構造の中に組み込まれているのです。
「静かな退職」は怠惰ではなく、合理的な“諦め”
日本でも静かに拡がりつつある「静かな退職(Quiet Quitting)」(*)という現象。
必要最低限の業務だけをこなし、出世もやりがいも追わない。時間と心の余白をプライベートに振り向ける。これは「やる気がない」からではなく、やっても報われない社会構造を見抜いた若者たちの“合理的戦略”ではないでしょうか?
報酬も役職も将来も約束されない世界で、“静かに身を守る”術として選び取られているのです。
*この言葉は、2022年にアメリカのキャリアコーチ、ブライアン・クリーリー(Brian Creely)氏がSNSで発信したことで広まったとされています。実際には、2021年のエコノミスト誌の記事や中国の労働文化に関する言説なども起源に関係しているとされ、米Gallup社が2022年に行った世界規模の労働調査(State of the Global Workplace)で社会的現象として取り上げられたことで、企業・学者・メディアに一気に波及しました。
HRの怠慢が構造を固定化している
構造のもう一つの歯車が、「変化しないHR(人事)」です。人的資本経営が叫ばれる今もなお、多くの人事部門は単なる「制度の運用係」であり続けています。
たとえば、本記事にも登場するGPTW(Great Place to Work®/働きがいのある職場認定)のようなツールは、本来「現状を直視し、組織を見直すためのきっかけ」となるべきものです。にもかかわらず、それすら活用せず、あるいは都合が悪ければ結果を伏せてしまう。そんな“現実を見る勇気”すら持てない企業も存在します。
現実を直視しない限り、いかなる改革も始まりません。人的資本の重要性が叫ばれ、あらゆる指標が可視化されつつあるこの時代に、本音では従業員のことなど真剣に考えていない、そんな企業がまだまだ多いのです。
そしてもう一つ大きな要因があります。それは、「この制度は過去にうまくいったから、今も通用するはずだ」という“経路依存的思考”です。この思考こそが、社会や価値観が激変している現在においても、HRが旧来の枠組みにとどまってしまう最大の足かせになっています。
成功体験が、変革のブレーキになる……HRの未来には、“アップデート”という意思が必要です。
「Will制度」に見る、新しい“仕事のかたち”
そんな中、この記事の中に注目すべき光が見えました。半導体製造装置メーカー、ディスコ社が導入する「Will(ウィル)」という社内通貨制度です。
この制度のポイントは
- 透明性と交渉性:業務と報酬が見える化されており、上下関係ではなく交渉で成り立つ
- 自己決定と責任:選ぶのも、背負うのも自分。結果へのコミットが生まれる
- ライフステージとの調和:他者にウィルを払って業務を委託することで、ケア労働や家族時間と仕事がトレードできる
つまり、仕事における「評価」「責任」「報酬」を再設計し、“働くこと=自分で選び取ること”という概念を導入していることです。
ここには、「自由時間」と「生産性」の新しい両立の可能性があります。これはもはや「働き方改革」ではなく、“仕事の民主化”です。
では、どうすれば“構造”を壊せるのか?
最後に、私の視点から3つの提案を記します。
1.生産性の成果を時間として再分配するルールづくり
例えば生成AIによって浮いた時間を「さらに働け」でなく「帰っていい」に変える発想を、制度として組み込む。
2.仕事に“意味”を接続する評価軸の再設計
「成果」や「時間」ではなく、「意味」や「貢献」を定義・可視化・報酬化する(Will制度はその一例です)。
3.HRの役割を“文化と未来の編集者”に進化させる
制度を運営するだけでなく、組織の目的と人間の生きがいをつなぐ「意味の翻訳者」としてHRをアップデートすべきです。
そのためには、HRの概念自体を、“Human Resources(人的資源)”から、“Human Relationships(人的関係性)”へと刷新することが必要です。あるいは、“Human Resonance(人的共鳴)”や“Human Realization(人的実現)”という捉え方も考えられるでしょう。人を「管理対象」ではなく、「関係性と対話の中で共に未来をつくる存在」として位置づけ直すのです。
“静かな退職”ではなく、“静かな革命”を
「働くとは何か?」
「なぜ労働時間は減らないのか?」
「本当の自由とは何か?」
私たちは今こそ、こうした根源的な問いに向き合うべき時代に来ています。
生産性を上げても、AIが進化しても、自由になれないのだとしたら、壊すべきなのは、AIではなく、「人間の時間」を搾取し続ける構造そのものではないでしょうか。
一緒に「静かな革命」を、始めていきましょう。“時間を取り戻す”という革命を。未来の働き方は、きっとそこから始まります。
BBDF 藤本