はじめに:昭和館で見た未来の予兆
ちょうど1年ほど前、私は九段下にある「昭和館」で、ある写真展を訪れました。タイトルは「失われゆく昭和の仕事―戦中・戦後の街頭風景―」(参照リンク)。展示されていたのは、今ではすっかり姿を消したさまざまな仕事の風景でした。
ガマの油売り、闇市の屋台、サンドイッチマン、チンドン屋、し尿の汲み取り、羅宇屋(煙管の掃除や竹の差し替えをしていた職人)、下駄の歯入れ屋、郵便のスタンプ押し……。
それらは単なる労働ではなく、時代と人々の生き様を写す“職業の肖像”でした。中には、何年もかけて習得するような、身体知(からだで覚える技術)を伴う職人芸が必要な仕事も多くありました。
改札で華麗に鋏を入れる駅員さんの姿に憧れ、電卓を軽やかに打つおばちゃんのスピードに驚嘆した、私自身の子ども時代の記憶が蘇りました。そしてその時、ふと思ったのです。
「リスキリングって、何も今に始まった話じゃなかったんだな…」
人類の歴史は、常にリスキリング(再教育)とアップスキリング(高度化)の繰り返しだったのです。技術の進歩や社会の要請に合わせて、私たちは仕事の中身や、働き方を、何度も“着替えて”きたのです。
この1年間、このことを考え続けてきました。AIによって仕事の意味が揺らぎつつある今こそ、「失われた仕事」たちが、未来を考える鏡になるのではないか?と。
「毒消し売り」とは?:忘れられた「憧れの職業」
写真展の中でも特に私の印象に残ったのが「毒消し売り」でした。(参照リンク:エーザイ株式会社「女性が売り歩いた薬 越後の毒消し」)
毒消し売りは、江戸時代から昭和初期にかけて登場した、道端の薬売りの一種です。扱っていたのは胃腸薬などの整腸剤でしたが、彼女たちの本当の武器は「話術」と「パフォーマンス」でした。
おしゃれな着物姿、整えられた化粧、商品を売るというより芸を見せるような振る舞い。その華やかさから、当時は“女性の憧れの職業”とされ、現代換算で年商数億円を超える売り手も存在したようです。そして訪れた家庭とは親戚のような関係を築くこともあり、単なる商売以上の交流が生まれていたそうです。
今では、その職業の存在すら知らない人が大半でしょう。けれど、これこそが「栄えたのに、時代と共に消えていった仕事」の象徴です。
なぜ消えたのか? 答えは明白です。薬事法や製薬会社、通信販売など、社会の構造が変わったから。
つまり、どれだけ高度なスキルや人気を持つ職業でも、「時代に必要とされなくなった」瞬間に、その価値は音もなく消えていくのです。
絵師たちのリアル:生成AIが奪いつつある現在の仕事
先日、ナゾロジーに掲載されたある記事が話題になっていました。(参照リンク:ナゾロジー「失業する絵師たちのリアルと衝撃のデータ」)
内容は、画像生成AIの進化によって、多くのフリーイラストレーターたちが実際に仕事を失い始めているというものでした。
- かつて年間200件以上の依頼を受けていた絵師が、NovelAIの登場後、仕事がゼロに
- 「AIに勝つにはAIを使いこなすこと」と言われたが、今やAIがAIを最適化する時代へ(AutoGen、CrewAIなど)
- 人間が一枚絵を描いているあいだに、AIは数百の案を生成し、最適解を自動抽出
もはや「プロンプトの書き方を工夫すればAIに勝てる」という段階ではありません。「努力すれば報われる」という信念すら、AIの圧倒的な試行回数と演算能力の前では立ち尽くすしかないのです。
リスキリングの歴史性:仕事の意味は“再定義”されてきた
毒消し売りや羅宇屋、チンドン屋が消えていったように、どんなに尊敬された職業であっても「社会に必要とされるかどうか」でその命運は決まります。つまり、仕事がなくなるというより、仕事の“意味づけ”が更新されていくのです。
リスキリングとは、単なる「学び直し」ではなく、時代の価値観に応じて“自分の役割を再定義する”ことなのだと思います。
消えるのではなく“質が変わる”仕事:営業とコンサルの未来
一方で、「なくならない仕事」もあります。代表例が、営業とコンサルです。先日、東京大学の松尾豊教授がこのように述べていらっしゃいました。
「営業はなくなりそうに見えて、なくならないだろう。それは『この人だから買う』という判断がなくならないからだ。」
同じことがコンサルにも言えるでしょう。テンプレ的な提案はAIで代替可能になりますが、「この人に相談したい」「この人なら自分を理解してくれる」といった人間関係・信頼・共感に基づく仕事は残ります。
ただし、両者に共通するのは、“質の変化”が避けられないということです。
AIやデータが全体像を提示する時代において、人間に求められるのは、情報ではなく“感情を扱う技術”“意味を編み直す力”になっていきます。
肉体労働・現場仕事は「価値爆上がり」する(中期的に)
私が注目しているのは、ブルーカラー(現場仕事)の再評価です。
現在のAI進化は「言語・計算・論理」などの頭脳領域が著しく進んでおり、フィジカルなAI=ロボティクスの進化はそれにまだ追いつけていません。つまり中期的には、「AIで代替されにくい現場仕事」の方が、ホワイトカラーの知的労働よりも価値が上がる、という逆転現象が起こる可能性が高いのです。
これはあくまで一時的な現象ではあります。やがてロボティクスやフィジカル・インテリジェンスの進化が頭脳領域に追いつけば、この優位性も揺らぐでしょうから。
けれどそれまでの間は、「3K」として忌避されてきたような仕事が、むしろ経済的にも社会的にも見直される転換点に入っていくと、私は見ています。
現場仕事は、AIにはまだ代替できない高度な身体知と対応力を要求される分野です。にもかかわらず、長年私たちの社会では「3K」「非正規」「学歴不問」というイメージで語られ続けてきました。
しかし今こそ、その見方自体を見直す必要があります。たとえば、「大卒=ホワイトカラー」という固定概念から脱却することが求められます。
人間にしかできないこと:問いを立て、意味を紡ぐ
では、AIが台頭し、知的労働も肉体労働も再定義される時代に、私たち人間は何をするべきなのでしょうか?私はこう考えます。
「何をするか」よりも、「なぜそれをするのか」を問い続けること。
AIは目的を与えられれば、それに沿って最適解を出します。しかし「目的」や「意味」そのものを決めることはできません。私たち人間が果たすべき役割は、
価値や目標を定めること
意味を編み直すこと
共感と感情の文脈で選択すること
なのです。
たとえ1つの職が終わっても、その背後にある「意味」を継承し続ける限り、人間の役割が終わることはありません。
おわりに:“毒消し売り”を知らぬ若者たちへ
一世を風靡した「毒消し売り」も、数十年を経てすっかり忘れられました。それは、単に仕事が消えたのではなく、時代が変わったということです。仕事の“死に様”が、次の“生き様”のヒントになるのです。
AIの進化に不安を抱くのは当然です。そして、昭和の仕事を振り返ることは、未来の働き方を設計するための“知恵の地図”になります。
毒消し売りがそうだったように、AIアーティストもまた、ある日「そんな仕事あったね」と笑われる日が来るかもしれません。だからこそ、私たちは今、
「あなたはなぜ、それをやるのか?」
という根源的な問いを持ち続けなければならないのです。
昭和の仕事たちがそうだったように、AI時代の仕事もまた変化の渦中にあります。AIが生み出す“最適解”に囲まれる時代だからこそ、私たちは「なぜ、それをやるのか?」という問いを手放してはいけません。
経路依存から抜け出し、自分自身で選び直す。その選択こそが、人間の未来を形づくるはずです。
BBDF 藤本