「これでいいのだ」の再設計─AI時代を生き抜く“バカ”のすすめ第1話】

頭の部品が飛んだ日 ~合理と正しさからのドロップアウト~

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「天才」から「バカ」へ。バカボンのパパ誕生神話

バカボンのパパは、実はもともと天才でした。これは赤塚不二夫公式サイト「これでいいのだ!!」にも記されている、れっきとした“公式設定”です。

生まれたばかりの彼は、すぐに歩きはじめ、お釈迦さまのような言葉(天上天下唯我独尊)を口にし、病院の医師たちを驚かせます。神童どころの話ではありません。

「この子は将来、すごいことをやってのけるに違いない!」周囲がそう期待したのも無理のない話です。

ところがその数日後、ひとつの“事件”が起きます。

木枯らしが吹くある日、バカボンのパパは大きなくしゃみをしてしまい、その勢いで「頭の部品」が口から飛び出し、川へ転がり落ちてしまったのです。

それを境に彼は“天才”ではなくなり、「ただのバカ」になったのです。

これは本当に「不幸な事故」だったのか?

一見すると、このエピソードは「栄光からの転落」のように見えます。あんなに優秀だったのに、くしゃみで台無しになってしまった、かわいそうな人…。

でも、少し考えてみてください。

あの「頭の部品」が何かとても大切なものだったとすれば、それを失ったバカボンのパパがあんなに幸せそうに、のびのびと生きているのはなぜなのでしょうか?

頭の部品=“正しくあろうとする強迫”だった?

この問いに、私なりの答えを出してみます。バカボンのパパが失った頭の部品とは

  • いつも正しくあろうとすること
  • 論理的で、評価されて、成果を出そうとすること
  • 社会の期待に“ちゃんと応えようとすること”

……そういった「理性的な自己制御」や「優等生的な欲望」そのものだったのではないでしょうか?

言い換えれば、「賢くあらねばならない」という社会の呪縛です。

“バカ”になって得た自由

くしゃみで頭の部品を失って以降、パパは“バカ”として生きます。

  • 定職につかない
  • 逆立ちで歩く
  • よくわからないことを口走る
  • 社会のルールを都合よく無視する

でもそこには、一切悲壮感がありません。むしろ彼は誰よりも自由で、楽しそうで、そして不思議と人に愛されています。

もしかすると私たちは、「頭の部品」があることで、“ちゃんとすること”に必死になりすぎて、人生を味わえなくなっているのではないでしょうか?

AI時代、部品を外す勇気が必要になる

AIが進化し、多くの“賢いこと”は機械ができるようになりました。計算・分類・判断…どれもAIの得意分野です。

では人間は、これからどう生きていけばいいのでしょう?

「間違っている」「無意味だ」「役に立たない」と言われても、それでも自分なりに笑って生きる力。

それこそが、バカボンのパパのような“部品の外れた存在”から我々が学ぶべき知恵ではないでしょうか。

【次回(第2回)予告】
働かないパパは、寅さんよりダメなのか?~無職という自由~

第2回では、「職業を持たないこと」について考えます。

寅さんはテキヤとして働いていました。でもバカボンのパパには、仕事すらありません。

現代社会で最も評価されにくいこの“無職的存在”から「生きるとは何か?」をあらためて考えてみましょう。

BBDF 藤本