グローバル制度疲労

“正しかった政策”の末路

· Social Issues,Insights

成功した政策が、なぜ“やがて社会を蝕む”のか?

「減反政策」と「一人っ子政策」……どちらも一国の存続をかけて始まった制度です。しかし今、それらはいずれも“負の遺産”となり、制度疲労と構造不全を生み出しています。

この構図は、日本や中国(*)に限った話ではありません。制度が「正しすぎた」時、その制度はやがて自らの持続可能性を失っていくのです。

世界各国に共通する「制度疲労」の実例から、制度設計における最大の盲点、「やめ時」の設計について考えてみます。

*本稿ではこの呼称を便宜的に用いますが、特定の政治思想的立場を肯定するものではありません。

「減反政策」と「一人っ子政策」

○【日本】「減反政策」:米余りを抑える「成功体験」がもたらした農業の空洞化

1970年、コメの過剰供給と価格崩壊を防ぐため、国は減反政策(生産調整)を導入しました。補助金を出して生産を減らし、市場価格の安定を図ったのです。

短期的には機能したこの政策は、40年以上続いた結果として、以下のような副作用を招きました。

  • 農家の高齢化と後継者不在(平均年齢69.2歳)
  • 農業の縮小再生産と耕作放棄地の拡大
  • コメの供給能力の脆弱化(自給率自体は100%近くを維持しているが、減反政策の長期化により生産意欲や生産体制が損なわれ、持続可能性が低下した)
  • 市場構造の硬直化(JA依存)

○【中国】「一人っ子政策」:人口爆発を止めた代償

1979年に始まった一人っ子政策は、人口増加を抑制し、経済発展を加速させました。しかしその帰結は以下の通りです。

  • 労働人口の急減(2060年までに人口半減予測)
  • 超高齢化社会と社会保障制度の圧迫
  • 男女比の不均衡と家族構造の崩壊

……どちらの制度も、「その時代には必要だった」ものでしょう。しかし、その制度に“出口戦略”が設計されていなかったことが、現在の苦境に直結しているのです。

「制度疲労」はグローバル現象:各国の“副作用政策”たち

このような制度疲労は、何も日本と中国だけで起こっているわけではありません。

○【アメリカ】「サブプライム政策」:住宅所有を促した結果起きた経済危機

低所得者層の住宅所有を促進し、内需を拡大することを目的とした政策でした。しかし、信用力の低い層にまで住宅ローンが拡大し、2008年のリーマン・ショックへ直結することになりました。「全員持ち家」は社会的理想ではありましたが、信用リスクの波及構造が破綻を引き起こしたのです。

○【ソ連】「農業の集団化政策」:効率化が招いた非効率と人命喪失

食料の安定供給と計画経済による効率化を目指しました。しかし、農民の自由の剥奪、生産意欲の喪失を招き、数百万人規模の大飢饉に繋がってしまいました。中央統制による“過剰な効率化”が、実際には(逆に)非効率、そして人命の喪失にまで直結したのです。

○【フランス】「手厚すぎる年金制度」:モデルの疲労と限界

戦後の福祉国家構築、老後の安心のために年金制度を手厚くしました。結果、長寿化と少子化により財政が逼迫。毎年のように制度改革をめぐって全国的ストライキが発生することになりました。「国が一生面倒を見る」モデルには限界があることが露呈した形です。

○【インド】「レジ袋無料化と化学肥料の安価提供」:環境破壊と依存症の発生

貧困層の生活支援と農業支援を目的とした政策でしたが、プラスチックゴミと土壌・地下水の深刻な汚染、農業生態系の破壊に繋がってしまいました。「善意の無償提供」は、使いすぎと制度依存を生むのです。

「正しすぎる制度」を、なぜ壊せないのか?

多くの「制度疲労」は、“成功体験”がアップデートを妨げる構造にあると考えられます。

  • 「正しかった制度」は、政治家にとって“功績”となり、見直しづらくなる
  • 一度整った制度には、既得権や補助金構造が生まれ、撤廃のハードルが急上昇する
  • 制度に最適化された産業・社会構造が、転換を拒む“経路依存性”を作り出す

「制度疲労」とは、制度そのものではなく、「制度から抜け出せなくなった社会構造」の別名なのかもしれません。

提言:制度は「いつ終わらせるか」までを設計せよ!

ここまで考えてきて、制度設計に求められるのは、「正しさ」だけではなく、下記の観点が必要であることがわかりました。

  • 柔軟性:時代変化に合わせたアップデート機構を内蔵しているか?

  • 検証性:定期的にメタ認知的な検証がなされる仕組みがあるか?

  • 多元性:出口戦略を含む複数の選択肢を内在しているか?

制度を設計する際、真に必要なのは「正しさ」に加え、「寿命(やめ時)」「自壊しないための仕組み」なのです。この発想が欠如していることで、様々な制度はやがて疲労し、構造不全化し、遂には逆に社会を蝕むようになってしまうのです。

この観点を、政(まつりごと)に関わるすべての方々には持っておいていただきたい。そう切に願う次第です。

経路依存性から脱却せよ。「制度疲労」を繰り返さないために

いま私たちに問われているのは、単に制度を守ることではありません。「制度の終わり方」を、制度設計の最初から考えることだったのです。

減反、一人っ子政策、年金、農業、金融……それぞれの分野で共通するのは、「最初は合理的だった政策が、時代を経て毒にもなる」という現象です。

我が社(BBDF)のミッションである「経路依存性からの脱却」は、まさにこの問題への回答になりうるものであると自負しています。

変化できる社会は、制度が変わる社会であり、変われる制度は、「終わることを許容・予め想定した制度」だけなのです。このことを正しく認識することから、未来は始まります。

BBDF 藤本