“生産性至上主義”を捨てろ。

効率化では日本企業は絶対に再生しない。

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■ 生産性と効率化が“唯一解”として語られる違和感

「生産性」「効率化」という言葉が、まるで企業経営や国家戦略の絶対的正義であるかのように使われている現状に、私は強い違和感を覚える。

生産性至上主義、すなわち「中小企業を淘汰し、集約すれば日本は強くなる」という議論は、構造的に見落としているものが多すぎる。彼らが信奉するのは、規模の経済と最適化を前提にした“第二次産業モデル”に過ぎない。

生産性(Productivity)とは本来、「確立された工程を、どれだけ効率よく回すか」という文脈で生まれた指標である。

高度経済成長期のように「作るべき正解」が明確で、均一な商品を早く安く大量に生産することが価値だった時代(明確なKPIが存在し得る市場)には、効率化は絶対的正義だった。工程が固定的で、需要は安定し、変動は少なかったからだ。

しかし、現代はまったく逆だ。需要は不安定で、変動は激しく、最適解は常に変化している。そもそも工程が確立していない。つまり、「効率化すべき工程そのものが存在しない」という状況が常態化しているのだ。

この地殻変動を無視して「日本の生産性は低い」と批判するのは、地形が変わったのに古い地図で道を探しているようなものだ。

■ BANI時代において、生産性至上主義は機能しない

現代はBANI(Brittle:脆い / Anxious:不安 / Nonlinear:非線形 / Incomprehensible:理解不能)の時代だ。

この環境では、生産性至上主義が成立する前提条件そのものが崩れ去っている。

最適化は「脆さ(Brittle)」を生む
限界まで効率化されたシステムは、予期せぬ環境変化(パンデミック、地政学リスク、技術の断絶的進化など)に対して極めて脆弱だ。冗長性を削ぎ落とすことは、サバイブ力を奪う行為に他ならない。

◉「計画と管理」の限界
ドラッカー的な「分析→計画→実行」という線形モデルは、未来が過去の延長線上にある世界でのみ成立する。予測不能な現代では、精緻な計画は徒労でしかない。米国のスタートアップが中期経営計画すら立てなくなった(1ヶ月から3ヶ月単位で仮説検証を回すアジャイルなビジョン経営にシフトした)ことがこれを象徴している。

人の内面を理解しない理論は、もはや通用しない
BANIの中でも画期的なのは「Anxious(不安)」という内面の概念だ。人は、気持ちが伴わなければ動かない生き物だ。SNS等で異論に対し上から目線で「勉強不足」「stupid」と切り捨て「私は元ゴールドマンだ」と攻撃(かつ旗色が悪くなるとブロック)する(相手の心情を省みない)生産性至上主義者の姿勢が象徴するように、「能動的共感力(Active Empathy)」を欠いた数値偏重の理論は、人間の内面が複雑化した現代では決して機能しない

■ では、何が必要なのか?

必要なのは、ズバリ「始動性」だ。

効率化すべき工程が存在しない時代において、後工程である「生産性」よりも重要なのは、“前工程の力”――始動性(Initiation)でしかあり得ない。

「とりあえずやってみる」「複数の選択肢を同時に走らせる」「アジャイルに捨てる」――この「始める力」こそが、現代の競争力の源泉である。

熟達した起業家は、目的からの逆算はしない。手元にある資源を使い、まず小さく行動し、市場の反応を見ながら目的を再定義していく。これは「Effectuation(エフェクチュエーション:実効理論)」やアジャイル開発に通じる意思決定モデルだ。

「100点の計画で1回打席に立つ会社」よりも「30点の仮説で10回打席に立つ会社」が勝つのだ。なぜなら、計画を練っている間に市場の前提そのものがどんどんと変わるからである。

市場はもはやスタティックな理論の通用しない、ダイナミックな行動のみがモノを言う場所へと変化してしまったのだ。

■ 「効率化」をコモディティ化するAI

AIの普及が、効率化の価値そのものを奪いつつあることを認識しなければならない。

1.効率化は「差別化要因」から「当たり前」へ
文章作成、コード記述、データ分析、業務最適化――これらをAIが自動化しており、AIツールを導入すれば誰でも一定水準まで「効率化」は達成できるようになっている。つまり、効率化そのものが競争優位(差別化)を生み出すことにはつながらない。

2.付加価値の源泉が「問い」と「始動」へ
AIが後工程を代替する以上、人間に残る価値は「何を問い、何から始めるか」、そして「リスクを取って打席に立つ意思決定」だけになる。

「効率よく作業をこなす能力」の価値が暴落する時代に、国や企業を挙げて「効率化・生産性向上」だけを叫び続ける“思考停止”は、時代の針を逆戻りさせる行為と言わざるを得ない。

■ 生産性の低さは、必ずしも「悪」ではない。

中小企業淘汰論は、以下の前時代的な前提に立っている。

① 生産性が高い=良い企業
② 効率化できない企業は淘汰すべき
③ 中小企業は大企業の劣化版

しかし現実は違う。中小企業は、ニッチ市場、文化的価値、コミュニティ、多様な雇用、産業の実験場――複雑系における“生存戦略”そのものを担っている。そして生産性の低さは「余白(Slack)」であり、その余白こそが創発の源泉である。

この多様性を「生産性」という単線的指標だけで淘汰するなら、日本は確実に弱くなる。

そして、本来淘汰されるべきは中小企業ではなく、複雑な現実を単一の物差しでしか測れない“思考の貧困”そのものなのだ。

■ 日本企業に本当に足りないもの

生産性至上主義者の主張する「規模の拡大・淘汰」は、成果(分子)を増やすか、投入コスト(分母)を減らすかという、単純な算数の話に過ぎない。

しかし今求められているのは、「新しい掛け算の式をいくつ生み出せるか」。30年も40年も前の机上知識など通用しない世界なのだ。

日本の本当の課題は効率の悪さではなく、失敗を恐れて“始めない”文化である。減点主義の評価制度や、失敗を許容しない社会風土こそが、「始動性」を奪い、日本企業の未来を閉ざしているのだ。

効率化はAIに任せればいい。人間と組織は「未完成でもまず始め、仮説検証のループを高速で回す」ことに集中すべきだ。

未来を創造していくのは数字ではなく、人間の心情と内面だ。

だからこそ私たちがまずやるべきは、既存のあらゆる概念を疑い、経路依存性から脱却することである。そして、数値だけで世界を測る思考スタンスを捨て、「人間」を中心に据えた新しいパラダイムへとシフトすることだ。

始める者だけが、未来を創る。


藤本英樹(BBDF)