AIと哲学と寅さん【第2回】

ケインズの未来予測が外れた理由と、その“出口”としての寅さん

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「人類は週15時間しか働かなくなる」希望に満ちた予言

1930年、イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは『孫たちの経済的可能性(Economic Possibilities for our Grandchildren)』という短いエッセイの中で、こんな未来を描いています。

「100年後の人間は、経済問題を克服し、週15時間の労働で十分に生活できるようになっているだろう。そして、芸術や哲学、友情といった“人間らしい営み”に時間を使うようになるだろう」

これは今で言う「ベーシックインカム」や「ポスト労働社会」を先取りするような発想で、まさに“AI時代の理想”と重なる部分があります。

ところが2025年現在。

人類の平均労働時間はむしろ増加傾向にあり、私たちはいまだに“生活のために働く”という構造から抜け出せていません。

なぜケインズの未来は外れたのでしょうか?私はその理由を、次の4つに整理してみました。

1. 欲望は収束しなかった:「足るを知らない」社会

ケインズは「人間の基本的な欲望は満たされれば自然と収束する」と考えていました。しかし現実は違いました。欲望は、満たされるたびに“次の欲望”を生み出し、上書きされ続けたのです。

SNS時代の私たちは、他者との比較によって欲望を無限に再生産し、「まだ足りない」という感覚を抱えたまま、より多く働こうとします。

消費を刺激する広告、ランキング、インフルエンサー──こうした仕組み全体が、ケインズの想定を裏切る「欲望のエンジン」になってしまったのです。

2. 技術革新は富を分配しなかった:格差の拡大

ケインズは、技術の進歩がやがてすべての人に恩恵をもたらし、富が社会全体に広がっていくと予想していました。

しかし現実は真逆でした。

グローバル資本主義と金融経済の膨張により、テクノロジーの成果はむしろごく一部の人間や企業に集中するようになったのです。富のトリクルダウンは起こらず、“持つ者”と“持たざる者”の格差は拡大する一方です。

今やAI開発すら、少数の企業によって独占されつつあります。ケインズの「平等な豊かさ」というビジョンは、現代のプラットフォーム資本主義に吸い込まれていったように見えます。

3. 企業は“自由時間”ではなく“利益”を選んだ

ケインズは、「技術革新によって生産性が向上すれば、人々の労働時間は減る」と考えました。

しかし実際には、生産性向上の果実は労働者の自由時間の拡大ではなく、企業利益や株主への還元に使われました。言われてみれば、所謂資本主義社会においては当たり前のことかもしれません。労働時間は減らず、むしろ「働き方改革」の名のもとに“より密度の高い労働”が求められる時代となりました。

人類は、技術によって自由を手にするどころか、もっと“効率的に働かされる”存在になったのです。

4. 「労働=美徳」という文化の壁

さらに特に日本では、「働くことそのものが価値である」という文化が強く根付いています。

ケインズは「労働は必要悪」と見ていましたが、日本では“働かざる者食うべからず”“仕事ができる人が偉い”という価値観が、戦後復興の成功体験を通じて強化されました。

今でも「好きなことで生きていく」「働かない生き方」といった言葉には、どこか後ろめたさが漂っています。

労働を疑うことが“非国民的”とされる空気の中で、「自由時間を持つ人間像」はなかなか浸透しないのです。

では、どうすればケインズの未来は実現できるのか?

この4つの要因を乗り越えなければ、人類に自由時間は訪れません。

そして、その“出口”のヒントをくれるのが・・・

あの、寅さんなのです。

【次回(第3回)予告】
「足るを知る」時代へ。リゾーム的経済と分配の再設計

次回は、「欲望」と「分配」の問題に踏み込みます。

寅さん的に“足るを知る”こととは何か?そして、ドゥルーズ&ガタリのリゾーム的発想から見た、新しい分配のかたちとは?

AI・資本・人間をめぐる“もうひとつの経済”を、一緒に考えていきましょう。

BBDF 藤本