まさかのつながり:哲学者ドゥルーズ&ガタリとフーテンの寅さん
「AI時代に必要なのは、ドゥルーズ&ガタリの“リゾーム思考”だ」と言っても、ピンとくる人は多くないかもしれません。哲学の世界に馴染みのない方なら、「それって何の話?」と首をかしげるでしょうし、「AIと哲学って、そんなに関係あるの?」と思う人もいるかもしれません。
ですが、私は思うのです。この複雑な時代において、「何者かになろうとしない自由な人間像」こそが、未来を生きる私たちの指針になり得るのではないかと。
そして、その答えをくれたのが、まさかの“寅さん”でした。
ドラマ「少年寅次郎」とリゾーム的原風景
つい先日、NHKで再放送されていたドラマ『少年寅次郎』(2019年、主演:井上真央)を偶然目にし、引き込まれました。寅さんの少年時代を描いた本作は、かの名作『男はつらいよ』シリーズの原点にあたります。
少年・寅次郎は、あの飄々とした大人になる前から、すでに社会の“まっすぐなレール”に乗ることが苦手な存在でした。学校で叱られ、家族の中で浮き、周囲と衝突しながらも、なぜか人の心の奥深くに触れてしまう…そんな彼の姿には、既存の秩序からはみ出しながらも“どこかにつながっている”生き方の萌芽が感じられます。
それを見た瞬間、ふと思ったのです。
「もしかして寅さんって、ドゥルーズ&ガタリの言う“リゾーム”だったのでは?」
「リゾーム」とは何か:哲学の話を少しだけ
フランスの哲学者汁・ドゥルーズと精神分析家フェリックス・ガタリ(ドゥルーズ&ガタリ)が『千のプラトー』(1980年)で展開した「リゾーム」という概念。それは、非中心(中央集権)的で、分岐し、横につながり、どこからでも伸びていく“地下茎”のような構造を指します。
彼らは、人間の思考や社会、欲望、アイデンティティまでもが、縦に並んだ階層構造(ツリー型)ではなく、このリゾームのように自由かつ多方向的に伸びていくあり方であるべきだと主張しました。
つまり、「決まったルートを上に登っていく生き方(受験、就職、出世…)」ではなく、「どこからでも始まり、どこへでも接続し得る生き方」を肯定したのです。
寅さんはリゾームを生きた?
寅次郎少年は、まったく持って優等生ではありませんでした。捨て子だった彼は言うなれば、どこにも“根を張れない”存在だったとも言えます。ですが、それは“弱さ”ではなく、ある種の“リゾーム的可能性”だったのではないでしょうか。
家族からも社会からもはみ出していく彼は、それでも人とつながり、場所とつながり、時代とつながっていきます。まるで、どこかの一点に定着せずとも、世界全体とゆるやかに関わり続ける地下茎のように。
このとき私ははっきりと感じました。
「ああ、これはドゥルーズが語った“リゾーム的生のかたち”だ」、と。
【次回(第2回)予告】
ケインズの未来予測が外れた理由と、その“出口”としての寅さん
この連載では、寅さんという存在を通じて、“AI時代の自由な生き方”について考えていきたいと思います。
次回は、100年前に経済学者ジョン・メイナード・ケインズが予測した「人類は週15時間しか働かなくなる」という未来がなぜ実現しなかったのか?その4つの理由について考察しつつ、寅さんが提示してくれる“もうひとつの自由時間”の可能性に迫っていきます。
どうぞお楽しみに!
BBDF 藤本