最近になり、「アンコーチャブル(Uncoachable)」という概念を知った。コーチングを受ける前提が整っていない人、つまり、自分に都合の良いことしか聞かず、変化を受け入れる素地のない人を指す言葉だという。
- 自己啓発やマネジメントの研修に参加して「できるようになった気になる人」。
- 実際には、“気づき”ではなく“快感”を持ち帰っているだけの人。
- コーチングを受けるても、耳を開かず、耳に心地よい響きだけを通して終わる人。
- つまり、何十回、何百回とコーチングを受けたところで、本質的には何も変わることのない人。
なるほど、これは非常に納得性が高い。
だが、もっと根深い問題があるのではないだろうか。それは、「自分ができないことを周囲の人にやらせておいて、それを偉そうに評価する者」の存在だ。アンコーチャブルは自己の変化を拒む問題だが、組織においてより深刻なのは「他者の変化を阻む者」だろう。それは“経験なき評価者”のことである。
最近よく言われる、「AI時代には“問いを立てる”ことのできる人間のみが生き残る。しかし“問いに答える”ことをしてきていない者に、それは困難だ」というのと、構造は同じだ。
自分では身体を通して経験していないことを、言葉だけで裁く。現場を知らず、痛みを知らず、汗をかかずに、他者の努力を数値で切り捨てる。それはもはや評価ではなく、単なる儀式とでも呼ぶべきものだろう。
そういう者と、セミナーや研修に参加して「できるようになった気」になって帰って来る者。この二者はしばしば重なるのが事実だ。これでは何も変わらないどころか、周囲にとっては悪化の一途しか辿らないだろう。
実際に、この問題意識は、現場のプロたちの議論とも一致する。
- 資格はスタート地点にすぎず、それよりも「実践とフィードバック」が重要。経験なき評価は空疎になる。
- 資格がなくてもプロコーチになれるが、実績や経験がないと信頼されることはない。
- 会社が何をやったか、ではなく、自身が何をやったかという実践者としての信頼が重要。
などが挙げられる。
これらを踏まえているうちに、気づいてしまった。「そういうリーダーを指す形容詞が、まだ世界に存在していない」ということに。
そこでつくってみた――「アン・エヴァラブル(Unevalable)」。
アン・エヴァラブル(Un-evalable):
自ら経験せずに他者を評価しようとする者のこと。評価の土台が空疎であるため、言葉に重みが宿らない。
語源は以下の通り。
- Un-:否定の接頭辞。「〜でない」「欠けている」
- Eval:評価する(evaluate)の語幹。ラテン語 valere(価値がある)に由来
- -able:可能性や資格を示す接尾辞。「〜できる」
つまり、「アン・エヴァラブル(Unevalable)」とは、“評価する資格が欠けている人”を指すための造語である。途中に「u」が入る「Unevaluable」は「対象が曖昧・未確定・測定困難であるために評価が成立しない状態」を指す言葉(主語は評価される側)として既に存在するが、「評価する資格が欠けている人」という、評価する側を主語とする言葉は未だ世にない。
この言葉が広まれば、評価の正当性を問い直す契機になるかもしれない。「誰が言っているか」ではなく、「その人は実際に何を経験してきたか」に耳を傾ける文化が育つことを願う。とにもかくにも、まずは自分でやってみることだ。
「アン・エヴァラブル(Unevalable)」、ご自由にお使いください。
BBDF 藤本