反応資本主義とAIメロドラマが奪う「思考」

ドゥーム・サーフィンの先に幸せはない

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X(旧Twitter)を開くたびに、怒りや不安を煽る投稿が流れてくる。そして、ついそれを読んでしまう。

SNSで怒り・不安・不公平・裏切りの情報を見つけると指が止まるのは、実は「種の保存」の法則によるものだと言われている。

たとえば「熊が出たぞ!」という情報と「おいしいコーヒーを入れたよ。」という情報が同時に入ってきたとする。優先すべきは当然前者だ。命に関わるから。

人間は「危険の兆候」を優先して反応するように進化してきた。だから、そうした情報をつい読んでしまうのは本能的に正しい行動なのだ。

そして時に、人はそうした情報ばかりを追い求めてしまう。これが「ドゥーム・サーフィン」や「ドゥーム・スクロール」と呼ばれる現象だ。

政治家やインフルエンサーが日々怒りを煽る短文を投げ、人々の反射神経を刺激し、その「反応」を収益に変換しているのは、この人間の本能を巧みに利用しているのだ。

現代の「ドゥーム・サーフィン経済」とでもいうべき 反応資本主義 が、Xに代表される短文SNSだ。

日々X空間で流れてくる、怒りを煽る短文や敵を作って叩く構図。不安を煽る断片的な情報。これは、反応を収益化するSNSの構造が生んだ“反射型コンテンツ”が増殖していることを意味している。


Wiredが暴いた「AIメロドラマ経済」


先日、Wiredが、XでAIが大量生成する「メロドラマ型フェイク物語」が収益化されているという衝撃の構造を報じた。

人間の脳の反応を最大化するように設計された“情動テンプレ”(不当な扱い、怒り、不公平、裏切り、逆転など)をAIで量産し、その「物語」によってクリエイターが多額の収益を得ているというのだ。

かに最近、友人の裏切り、職場での理不尽、不倫した伴侶への復讐劇などの創作物が大量に流れてくるようになった。もちろん140文字では収まらないので、延々と読み進めなければならないタイプの投稿だ(私は読み進めてはいないが)。

あれらは、この構造の産物だったわけだ。

問題のひとつは、Xの収益条件に“真偽”が一切含まれていないことだ。Premium加入のうえ、一定数の認証済みフォロワーとインプレッションがあれば収益が得られる。つまり、「反応」だけを評価し収益化する仕組みなのだ。

怒りや不安を煽る投稿が増えるのは必然だろう。それが最もインプレッションを稼げるのだから。

AIが無限に物語を生成し、
ルゴリズムが情動を優先し、
益化は反応だけを評価する。

この三点が揃った結果、SNSはさらに真実とはかけ離れた「反射の市場」へと変質したと言える。


脈の回復は長文文化でしか起きない


文中心の情報摂取は、脳の“深い読解”回路を使わなくなるため、長文理解・批評的思考・構造把握が弱まる。これはすでに複数の研究(スタンフォード大学、UCLA、コロンビア大学、MITなど)で確認されている事実だ。

Xのような短文文化は、人間の認知を「反射」に最適化する。このような「反射型コンテンツ」に「反応」しているだけでは、高度なコミュニケーションに必要な読解力や批評性といった「思考」が鍛えられることは決してない。

私は最近、noteで他の人の「思考」を読むようにしている。そして自分の思考もそこで発表している。

もはやnoteは私にとって「思考の避難所」と言うべき場所だ。他者の批評(長文)を読む。文脈を理解する。自分の考えを書く。思考の深度を鍛えることのできるnoteは、AIメロドラマ経済とは真逆の方向性を持っている。

もちろん、AIでnoteの文章を書いている人もいるだろう。しかし、私が見る限り、noteにはXにはない「相互理解の文化」が存在している。多くのユーザーが「反射」「反応」ではなく、「ともに思考すること」を求めて書いているように思えるのだ。


極分化が進む文明で、どちらを選択するのか


SNS文明は今、「反射型人類」と「文脈型人類」の二極分化を進めているように見える。

XもTwitterからブランド変更した後に「記事」という長文掲載機能を搭載したが、タイムラインには流れないし、「反応」が収益の中心であることに変わりはない。長文を読む文化のない場所に設置された機能にすぎず、文化の醸成には至らないだろう。

別にどちらかに偏る必要はないのかもしれない。しかし、怒りや不安を刺激する短文を追い続けても、そこに何があるというのか。ドゥーム・サーフィンの先に果たして幸せはあるのか。

人間の認知は、文脈の中でこそ回復する。そして文脈は、長文の中でしか育たない。

私は、長文を読み、長文を書き、思考力・判断力・批評性を鍛えていく文化を取り戻したいと考えている。

藤本英樹(BBDF)